「感情の脳科学」にこのような一節がありました。
解釈は個人の限界と時代の制約がある。
科学はその時までに得られたデータに基づく解釈という相対性がつ
したがって、
はじめにより
平たく言えば
人の話を鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ・・ということです。
また、
脳を持つ個体は行動主体として絶えず環境に働きかけながら、
そこから得られる情報の解釈をしている。
その解釈の妥当性を確認することが知覚するということであり、
妥当であれば解釈は終了し、
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これは
これは何かな?と思ったら、つついてみて反応を見る・・
何だ、ただのボロ布か とわかれば興味をなくす・・ということで
さらに
発達は生物主体による環境選択と云う過程である。
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というのは
どの道を選ぶかに寄って、人は違う経験をし、違う人間に成る
と読み取ることができます。
当たり前といえば、当たり前なのですが・・
主観的ということがあまり系統だって研究されていないように
この主体的ということもあまり論議されていないのです。
主観的というのが個人に対するインプットなら
主体性と言うのはアウトプットです。
そして、インプットとアウトプットの間の変換が
その人といえます。
私は、ほとんどのことは、人と調子をあわせますが、実は
人の言いなりにナラないと云う反発心のようなものを
原動力に生きてきた気がします。
皆がいうからそのとおりにするというのが根本的に「いや」
こんなのは、「主体性」などというほど立派なものではなく
ただの天邪鬼であり、わがままなのですが・・
有名な「7つの習慣」の
第一の習慣は「主体性の確立」です。
多くの人は、自分の人生がこのような状態にあるのは
親のせいだったり
時代のせいだったり
学校のせいだったり
会社のせいだったり
誰かのせいだったりします。
みなさんも
あいつさえいなかつたらという人がいるこもしれません。
もし、誰かの、あるいは、何かのせいだったら
貴方の人生は、今も、
その支配下にあることになります。
ヴィクターフランクルは、ユダヤ人の心理学者でしたが、
ユダヤ人であるという理由で、
家族とともにナチスに捉えられ
アウシュビッツに送られました。
この話は「夜と霧」という本になり、映画にもなりましたが
彼は、その、いつ命まで奪われるかもしれない
過酷な状況のなかで
ナチスの看守にどうしても支配することのできないものが
ただひとつ
有ることを発見します。
ソレは、「彼の心の状態」なのです。
エリナールーズベルトは言います。
「貴方の許可なくして、誰も貴方を傷つけることはできない」
ガンジーによれば
「自分で投げ捨てなければ、
もし人に言われてやるならソレは苦役です
自分の意志でやるならソレは楽しみです
仕事は、生活のため、お金のための
手段なら仕事は苦役になります。
労働基準法は、労働は苦役だという前提に立っている気がします。
今、世界の富裕層に流行っているのは、
マラソンの他に自転車と水泳をやるのですから
あれを命令でやられたら、拷問だといわれるかもしれません。
受験勉強は知的好奇心を満たす、心躍る発見ではないでしょう
もしそれを、
発見の連続、自己の可能性の無限の開拓、
にできれば
楽しいことでしょう。
つまり、受動的、受け身、反応的か
能動的、積極的、主体的かということで
やっている内容は同じなのです。
自分の意思で計画を立て実行する、
これを、目標を立てるといいます。
問題は、この目標が、
やらなければならないはめに追い詰められているか
あるいは、
なんとなく、
お金持ちになりたいとか
人より優れていると評価されたいとか
ソレは、一体なんのためか
大抵の場合
本当の自分の自主性
自分の、内面から沸き上がる。
どうしてもやりたいことではなく
周囲から、見られる目を意識している
とりあえず
という、目標が多いのではないででしょうか。
この自主性や主体性を育てるとはどういうことか
ソレが自分を作るということのように思います。
次回は
その主体性の育て方を考え、
「主体的にやれ!」
「はい!主体的にやります!」
というのではダメなので
発達や教育に結び付けたいと思います
主体性の科学
脳科学
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