サテ会場のやりとりの続きです。
私が会場を見渡すと、「発言したい」という意欲のある人
がたくさん見えます。
このようなとき、
大体、発言したいと言う
オーラを発している人がいるのです。
ドラゴンボールのマッドサイエンテイストのような人
が発言しました。
(どんな人かか分からない人方は、まわりの漫画が好きな人に聞いてください)
M「陽明学というのがありますが、人のためということを考えるようですが
人のためとか考えないのですか?」
一照さん 「特に考えないですね」
M「それだと自分が死んじゃった後とか困るんじやないですか?」
一照さん「困りませんよ、自分が終わると、世界も終わるんですから」
武田「こういうのを禅問答と言うのです」
この先生、東大の数学の現役の教授だそうで
専門は素数とか整数論とのこと
トンチンカンなようですがさすが、
問いかけは本質的です。
きっとこう言う風に思ったのでしょう
「曹洞宗の禅は、ただだまってすわれという」
「自分が一人で幸せになって、ほんとに幸せなんですか?
人を救いに行って、初めて自分が悟った意味があるのではないですか?」
一照さんの答えは
いかにも、禅僧らしいもので、
自他の区別など最初からない
生死の区別も待たない、ソレが禅の世界だ・・というようなものです。
この辺が面白いところでっ全く聞いている人に合わせる気がない
サービス精神がないわけではないはずなのですが
レベルに合わせてわからそうという親切心が感じられない
ぶっきらぼうです。
この後の、飲み会がまた大いに盛り上がりました、
この時、私は、一照さんに二人だけで聞いてみました。
1,悟りを開くと実感としてわかるものですかその後世界は常に違って見える
ものですか
2,悟りを開くために瞑想に入るのは、深い自己催眠と同じでしょうか
この辺は、仏教についての学説を学んでも、知識を広めても
わからないところで、
実際悟った人に、直接聞くしかないのです。
その答えはまた次週ということにしますが、
(先週の経済のことも含めて)
今週のまとめとしては、一照さんが会場に配ったテキストにある
八正道第七に当たる、正念=マインドフルネスは
第一、正見を前提とする
ということだけ確認します
正しく見るとはこの世はあらゆる物質によって
構成されているように見えるけれど
その全ては、物質ではなく現象なのだ
光が波であるように
全て、変わらぬ「モノ」に見えても
すべて「こと」なのだ
そこに例外はないので
全て原因と結果の連鎖であり結果がまた原因となるので
全てはつながっている
あの明けの明星と私とは一つのものだ
このような境地を妨げるのは、この自分の心だけは
他に原因がなくとも、自分だけで存在できるように
思えてしまうことにある
そこに
自分だけはと思う心が生じ
そのことは、自分だけを例外のように思うので
苦しみの元になる
自分もまた例外でない、自分の心も自分自身も
現象なのだ
そのことを体感し、宇宙自然と自分は一体であり
孤独ではないということを知るために
八正道がある
マインドフルネスの前提は、自分が見るのではなく
宇宙が見るのだ・・
ではまた来週

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