_金儲けのために競争し、道義の観念も打ち忘れて、いわゆる目的のため手段を択ばず、同僚を誤り、他人を毀ち、あるいは大いに自己を腐敗する。
アリストテレスは「すべての商売は罪悪なり」といったそうだが、孟子もまた「富を成せば仁ならず、仁を成せば富まず」という。
なぜこのような誤解が生ずるかといえば、徳川300年、国を閉じ、内政に当たり、儒教を国教として、修身、斉家、治国、平天下であった。ゆえに、武士たるものは仁義孝悌忠信を修めた。そうして、仁義道徳をもって人を治めるものは、生産利殖にかかわるものではない。「富を成せば仁ならず、仁成せば富まず」を実践した。いわゆる武士は食わねど高楊枝という風を保った。
人を治めるものは人に養わるるものなり、ゆえに、人の食を食むものは、人の事に死し、人の楽しみを楽しむものは、人の憂いを憂うというのが、彼らの本分と考えられた。生産利殖は仁義道徳に関係ない人の携わるものとされ、300年。やがて、武士の精神廃り、商人は卑屈になって、虚偽横行の世の中になったのである。
渋沢はこのように言いますが、今の世の中を見ていると、人間が、普通に生きると、
_金儲けのために競争し、道義の観念も打ち忘れて、いわゆる目的のため手段を択ばず、同僚を誤り、他人を毀ち、あるいは大いに自己を腐敗する。
のではないでしょうか。
社会を健全に育み、後進のために残すとすれば、今の民主主義の世の中ではすべての人間が道徳を学ばねばならないのではないかと思います。


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