商売は、政治などに比べれば、秘密は少ない。
現在あるものを、無いというような、、純然たる嘘は断じてよろしくない。
正真正銘の商売には、機密というようなことはまずない。
実際の会社においては、なくてよいはずの秘密があったり、あるべからずところに、私事の行われるのは、重役にその人の得ざるの結果である。
重役にもさまざまあるが、
一は、虚栄的重役 名前だけで満足しているような人は、大した害はない。
二は、人は良いが事業経営の才がない。部下の善悪を見抜けず、帳簿の不正に気付かない。
悪意はなくとも、救いがたい窮地に落ちることもある。
三は、会社を利用して自己の栄達を計る踏み台にしようとか、自己の利欲のため、会社という機関を利用しようと、株価を高くするため、ありもしない利益をあるように見せかけ、虚偽の配当を行うなど、詐欺行為を行う。
極端なものは会社の金を投機をやったり、自己の事業に投じたり・・もはや窃盗である。
私は(渋沢)は、その仕事が国家に必要道理に合すると心掛け、論語をもって商売上のバイブルとしてきた。
一個に利益ある仕事より、多数社会に益する、そのために堅固に発達し繁盛しなければならぬ。
福沢翁
「書物を著しても、それを多数のものが読むようなものでなくては効能が薄い。著者は常に国家社会を利するという観念をもって筆をとらねばならぬ」
多く社会を益するようなものでなくては正径な事業とは言われない。
以上が渋沢の「論語と算盤」の、「合理的経営」という節ですが、今日「合理的経営」といえば、誰でも、効率の良い、無駄のない経営と思うでしょう。
彼の「合理」とは、道理にかなうということです。
そのこと自体が、我々が、道徳、道理ということから離れているということでしょう。


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