論語には権利思想がないから、現代社会にそぐわないという人がいますが、それは、論語を本当には理解していないように思います。
釈迦やキリストは最初から宗教により人を導こうとしました。
孔子はもともと、世の中をどう治めるかという経世を考える人でした。様々な人が、彼に様々な質問をし、その答えをまとめたのが論語です。
キリスト教は、預言を信じ、夢想的な時代に生まれたから、権利思想が強いように思います。しかし、キリストの説く、「愛」と孔子の説く「仁」はほとんど同じなのです。
説明の仕方は違い、自動的と他動的の違いはあります。例えば、キリストは「己の欲するところを人になせ」といい、孔子は「己の欲せざることを人になすな」というので、義務だけを言っているように見えます。
しかし、これは同じ事を逆の角度から言っているだけといえるでしょう。余が孔子に信頼の程度を高めさせるのは、奇跡が一つもないことです。聖人のことそれがないとは、断言できませんが、それを信じれば迷信にならないか、孔子に権利思想のあることは「仁にあたっては師に譲らず」道理正しければ、師といえども譲ることはないでしょう。
この一句は、権利思想といってよいと思います。
私の意見では、渋沢は論語はよく読んでいると思いますが、仏教については、十分ではないと思います。しかし、当時・普通に普及している経典、宗派では無理ないと思わないでもありません
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