東照公は、実によく文治に心砕いています。
戦乱の時代を力で収めましたが、力だけでは続かないと知っていました。
遺訓「人の一生は重荷を負うて長き道を行くがごとし、急ぐべからず・・」
これは、論語秦伯編 曽子の言葉
「士不可以不弘毅 任重而道遠 仁以為己任 不亦重乎 死而後己 不亦遠乎」
そのままで、孔子は
「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」
といったのを、
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」
と家康は強調しました。
誤解された修養説
修養は人の性の天真爛漫を傷つけます。
修養は人を卑屈にする、と批判する人がいます。
修養と修飾を取り違えています。
修養は練習、研究、克己、忍耐すべてを意味し、人が次第に聖人君子の境涯に近づくように努めることをいいます。
修養は人を卑屈にするとは、礼節敬虔などを無視することによる妄説と思います。
孝悌忠信仁義道徳は、日常の修養から得られます。
大学の致知格物も、王陽明の致良知もやはり修養です。
修養を積めば事に当たりものに接して善悪が明瞭になってくるから、取捨去就に迷わず、その採決が流る如くなります。
何をしても富を積み、地位を得られれば、それが成功だと心得ているものもいるようですが、高尚なる人格をもって正義正道を行い、しかる後に得たところの富、地位でなければ完全な成功とはいえません。
人生の目的は何だろうかと考えると、結果だけを言うなら死しかありません。
しかし、人生は経過であり、そこで自分をどんな人間にするかは、人の自由です。


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