不立文字とは、禅の言葉で、
「言葉で説明しない」という意味だと思います。
人間と動物を分け一代限りの知恵の蓄積を、次の代に確実に伝え、
文化、文明を築き上げるのに言葉・文字は欠かせません。
また、まだ見ぬものを考えシミュレーション(モデルを操作する)し
計画を立てることができるのも
世界のモデルとしての「言葉」があるからです。
私達の最初の記憶は・・
みなさんの最初の記憶はなんでしょうか?
私は、チンドン屋さんに ついていって、
気が付いたら迷子になっていたことです。
おそらく、言葉を使えるようになった頃のはずです。
私達の 心 にとって、
「言葉」とは空気のようなものになっていて
「言葉」を使わないということは考えられないほどです。
人間と動物を分けるものが「言葉」であるはずなのに
人類の英知の到達点とも言うべき仏教が
なぜ「言葉を立てず」というのでしょうか。
凡人は特異な出来事に驚異を感じ
偉人は平凡な出来事に驚異を発見するといいます。
お釈迦様は、生老病死という、生命の営みを苦としました。
それを、因果と説明しました。
原因があって結果がある。
全ては、原因と結果の連鎖なのだから結果は次の原因となる。
従って、宇宙の開闢から未来にいたるすべての現象は、
区分区別できないひとつのものである。
生命もまた、その大いなる宇宙の流れの中の現象なので
水の中の「渦」のように実際はひとつのものなのに
独立した別なもののように区分けするのが言葉の働きなのだ。
言葉は現象を切り分け、分別する。
大小を比べ数を数え(数えるには、分離しなければならない)測定し、計算する。
論理は、ひとつの宇宙を任意の角度で切り分けその角度で切った
ある断面に現れた現象を観測する。
観測するには観測するものと、されるものを分けなければならない。
言葉は、人間の文明を築き上げたが人間を宇宙から切り離した。
これが、私の仏教解釈です。
次回は、瞑想と現代生活を考えます。

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