先週は、セリグマンのポジティブ心理学から
例えば、お客様に断られた時
それが、永続的で
蔓延しており
自分のせいだと思うか
一時的で
たまたまであり
外的なものだと思うか
これは、断られたあと、
自分で自分にどう言い聞かせるかという
自己説明の態度の違いで
否定的な自己説明をする上位10%と
肯定的な自己説明をする、上位10%の
営業成績を比較すると
88%つまり、倍近い差があるという結果が出ているという
紹介をしたところ
ある人から
自分のせいだと思うか
外的だと思うかというとき
外的というのは、他人のせいにすることで
責任回避に当たるのではないか
という質問を受けました。
ここで、昨年のベストセラーになり、このメルマガでも紹介した
「自分を変える教室」の自己観を思い出してみましょう
自己は一つではないという考え方です。
キリストや、釈迦の苦行中に、
出てくる悪魔の誘惑という話があります。
例えば、キリストに悪魔が囁く
「ここにある石が、パンになるように命じれば良いではないか」
「『誰もパンのみで生きるのではなく、神の口から出る、一つ
一つの言葉によって生きる』と書かれている」
とか
釈迦がある村で、托鉢をして歩いたのだが、
折り悪くその村はお祭りの日で
村人は、祭りに夢中で、
誰ひとり供物の食物を入れる者がいなかった。
仕方なく、帰り道についた釈迦に悪魔が囁く
「もう一度、戻って、回ってみたらどうか、今度はきっともらえるよ」
釈迦はきっぱりと悪魔の囁きを退ける。
托鉢には托鉢の作法がある。
同じ道を二度回ってはいけないと自ら定めた。
このように見てくると、内なるこころの迷い、内心の不安などが
悪魔の囁きとして経典に表されていると解釈できます。
私たちの、心は、単純な「ひとかたまり」
のものではないようです。
その進化の過程を考えても、生理学的構造を考えても
延髄(爬虫類の脳)
辺縁系(哺乳類の脳)
新皮質(人類の脳)という多層構造を持っています。
空腹による誘惑というのは、動物なら、すべてが感じるだろうが
それを抑制できるのは、人間だけであろう・・
「待て」で、犬がヨダレを垂らしながら待てるのは
犬の意志力か?
という、ある先生の設問を思い出しました。
これを次回のテーマししましょう。
さて、
外的な要因のせいにするというのは
うまくいかないのは、自分以外の他人や環境のせいだ
として、反省、成長しない
無責任な態度をさすのではなく
自分が、自分の精神をも
コントロール出来る
と考える
自分の欲求自体が、
自分の「中核的自己」からすると
「外的」なものである
と考えると、
自己成長要因と
解釈できるはずということで
答えにしたいと思うのです。
実は
24日、厚生労働省の保険課長、鳥居さんのおはなしを聞く
機会がありました。
25ページの厚労省の資料の中で
私が驚いたのが
強いうつや、不安を感じているもの10,4%を
9,4%にすることが目標だという話です。
軽うつという人が5%という話を何年か前に聞いた覚えがあり
それでも大変だと思っていたのに
10,4%!一割以上です。
びっくりしました
その意味でも、
このポジティブ心理学の理解と実践は大切だろうと思うのです。
次週は犬の待ては、意志力かをテーマにします。

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