論語と算盤 part43 修験者の失敗

渋沢が15歳の頃、

姉が発狂し、何をするかわからないので、
周りが色々と生やす中、
渋沢は、姉の世話をしながらついてまわり、
感心な弟だと言われていました。

父は迷信嫌いで、
加持祈祷のたぐいは断っていましたが、
父の実家、宗介の母親は大の迷信家でした。

父が転地療養のため、姉を連れ
上野(こうずけ)の室田に出かけたすきに、
家の祟を払う3人の修験者を連れてきて、
母を説得し、お祓いをしてもらうことになりました。

3人の修験者を中心に、
親族一同が熱心に修験道の呪いを唱え、
その中に、目隠しをした飯炊き女を置きました。
しばらくすると、神様が降臨しました。

「この家には、金神と井戸の神祟る、
 無縁仏があってそれが祟る」

『どうしたらよいか』

「祠を建立して祀りをすればよかろう」

その時、始めから疑っていた渋沢少年は、
『その仏が出たのは何年前ぐらいでしょうか。
 祠を建てるにもその時代がしれなければ困ります。』
「およそ5−60年前のことじゃ」

『して年号は?』

「天保3年」

ところが天保三年は、23年前のこと・・。

『無縁仏の有無が明らかにわかるような神様が、
 年号のわかるはずがあるまい』

とやり込めて、一同白けて、
結局祠を建てるのは、やめになりました。
渋沢は、賢い少年でしたが、
同時に負けず嫌いで
生意気な性格だったことがよくわかります。
渋沢は天保11年、1840年の生まれです。
天保三年といえば、その前の話です。

ちょうど、この話はペリーが来航し、
日本中が大騒ぎになっていた頃のことです。

200年くらい経って、非科学的と言われたら、
おしまいだと思われる令和の世でも、
今も、人は根拠のない話を信じたがります。
テレビでは毎日、今日の運勢をやっているし、
占いの番組もあります。

世界は一握りの者たちに支配されている、
という話を真剣に信じているインテリも多くいます。

かくいう私も、毎朝、
易を今日一日の過ごし方の戒めにしています。
渋沢は、迷信を捨て、
あくまで合理的に生きる、という覚悟のようです。

あらゆる、道徳的教えの中で、
儒教、論語が最も合理的で、
実生活と矛盾のない教えだと選んだようです。
そのため、この少年の頃の物語を
さしはさんでいるのだと思います。

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