渋沢は、『客観的人生』と『主観的人生』
ということをいいます。
『客観的人生』とは、世のため人のため、
それぞれの役割に応じて、全力を尽くす。
この場合、社会は主であり、
各個人は賓と心得ているので、
『客観的人生』といいます。
『主観的人生』とは、
自分は自分のために生まれたのであるから、
自分のために物事を計らう。
自分の利益になることはやるが、
人のため、社会のためには余計なことはしない。
このような生き方は、
社会や人は賓となるので、『主観的人生』といいます。
渋沢は、もし後者の、
『自己中心的人生観』を押し通せば、
国家社会はおのずから粗野になり、
ついには救うべからず衰退になるに違いありません。
それに対し、前者のごとき主義で行けば、
国家社会は必ず理想的なものになるに違いありません。
それ故、渋沢は『客観的人生』をとるといいます。
孔子に
「仁者は、己れ立たんと欲して先ず人を立て、
己を達せんと欲して先ず人を達す」
といってあります。
これは見方によっては、
交換的かけひきのように見えるかもしれませんが、
孔子の真意は、そのような交換的な
卑屈なものではなく、
君子たるものの事を運ぶ順序の覚悟で、
このようにしても、
必ず自分のやるべきことはなるという考えだと思います。
さて、以上は100年ほど前の渋沢の考えですが、
現在の日本はどうでしょうか?
生き馬の目を抜くという言葉がありますが、
少しでも油断すると、そこに付け込み、
自分の利益にしようと狙っている人もいます。
そうでない人も、もちろんたくさんいますが、
普通の人は、自ら動こうとしません。
私も、基本的には、
人間は、世のため、人のために生きる。
と考えていますが、
それが、社会の主義となるには
どうすればよいのでしょうか・・
来週も渋沢の考えを、追おうと思います。

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