渋沢栄一は500をこす企業の創業を支援しましたが、
その一つに今の、株式会社IHI、旧、石川島播磨重工業があります。
日本の開国に、ペリーの黒船が、
大きなきっかけだったのは言うまでもありませんが、
その黒船を日本でも作ろうという試みが、幕府により始まりました。
1853年、徳川斉昭が着手したのが、石川島の地でした。
後に、明治22年(1889年)株式会社となり、
石川島造船所となります。
その株式会社となって間もない頃、
ある会社から汽船の注文を受けたので、
まずその材料を外国から取り寄せました。
到着した材料を見ると、
寸法にわずかながら注文と違うところがありました。
しかし、ほんの僅かな違いなので、
これでそのまま製造しても、
性能や構造に格別違いはないと思われたので、
注文主に掛け合ったが承知しません。
再購入すれば、時間がかかり、
契約期日を超え延滞金を払わなければならず、
結局無料で船を進呈するようなものなので、
このようなわからず屋の注文主の注文はキャンセルして、
この材料を他に流用しようというようなことになりました。
ちょうどその頃、仕入れた材料の値段が高騰したので、
それに限るという事になり、重役会の承諾を求めたところ
滅多のことで、色を変えられることのない渋沢さんが、
俄然色をなして、ただ一言
「石川島は、儲けたいためには、契約を破棄するか」
と叫ばれました。
これには、一同声もなく、
改めて注文主の要求通りのものを製造して納めましたが、
そうなると、注文主の方でも事情を了解してくれて、
こちらに損の内容にしてくれたのであった。
渋沢さんのその時の一言は、
爾来、志川島の仕事を貫く精神となり、
石川島の信用は、その一言により
全く救われたといってよろしかろう・・。
利益より信義これが渋沢の論語と算盤でしょう。

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