論語と算盤 part21 一生涯に歩むべき道

渋沢栄一は元は百姓でした。
その頃から、藍の買い付けなど
商才を発揮していました。

その後、武士になろうと思い立ち、
幕末の風雲に乗って、一橋家の家来になり
慶喜が将軍になったので、遂に幕臣となり、
幕臣として、パリの万博に向かいました。

ところがその後、国政に関与すべく、東奔西走し、
最後に大蔵省に出仕するまで、
無為に過ごしたと本人は言っています。

大蔵省を辞めてからの大活躍は、ご存知の通り
欧米が繁栄したのは、商工業の発展によるものです。

だから自分は日本国家のために商工業の発展に寄与したい。
今思えば、国政に関与しようなど、自分の性分性格からすれば
短所に向かって突進するようなものだ。
その時間がもったいなかったといいます。
果たしてそうでしょうか?
もちろん、渋沢の言うことにも一理あります。
人間誰でも長所短所があり、その長所を活かすことに専念すれば
誰でもひとかどの仕事は出来るはずです。

しかし、渋沢の青年時代、15歳から30歳の15年は、
本当に無駄だったのでしょうか。
(それを無駄というなら、私の人生など無駄だらけです・・)

スティーブ・ジョブズのスタンフォード卒業式のスピーチを思い出します。
彼は大学に入り、授業を受けるうち、
つまらない授業に出なければならないことが嫌になり、
中退しました。
しかし、その後も大学に通い、
自分が興味を持った授業にだけ出ていました。

その一つがカリグラフィーの授業でした。
いわば、英語の書道、美しい文字を書く技術です。
これが後に、アップルを創業した時に生きます。
アップルコンピューターは、最初から文字のフォントが選べ、
行間や文字の間隔が調整出来ました。

ジョブズは人生その時は、意味がわからなくとも
振り返ってみれば、点が線になる。
やってきたことは、何かに生きるといいます。

私も人生は、誰でもどんな状況でも、
懸命に生きるしかなく、
それにはきっと意味があるのだと思います。

フランクルは言います。
人は人生に意味を求めます。
実は、人生が人間に生き方を問うているのです。

アウシュビッツでナチスに拷問にあった人の言葉だけに
意味が深いです。

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