論語と算盤 part7 人は平等たるべし

渋沢が生まれたのは、江戸時代です。
彼は豪農の家に生まれ、裕福に育ちましたが、
身分は百姓でした。
そのため、武士には頭を下げなければならず、
理不尽な要求にも、応じなければいけませんでした。
彼がまだ10代の頃、父の名代で
代官から、臨時の冥加金を一方的に命じられ、
その横暴ぶりに、名代だから即答できないと押し返し、
罵倒されたのは今に伝わっています。

このことに対する反発が、
後に武士になり、更に幕臣になり、
更には、明治新政府の役人にならせました。

というなら、話は簡単なのですが・・
渋沢の「人は平等たるべし」というのは、
もう少し深い意味があります。
多少なりとも、仕事をしようとする人間は、
人材を活用抜擢し、
適材適所に置くことが必要なのは、古今東西変わることがありません。
日本において、人材活用の妙といえば、
まず、武田信玄の24将。
織田信長の、柴田勝家など古参の活用、
明智光秀、羽柴秀吉などの新参者の抜擢・・
しかし、適材適所の、最高の政治といえば
徳川家康に並ぶものはありません。
関東はおおかた譜代恩顧の郎党でかため
箱根には大久保相模の守。
御三家は、水戸を持って東国の要衝を抑え、
尾張家をもって、東海の抑え、
紀州家は畿内の背後を固め、
井伊を彦根において京都王城を圧するなど・・
その配置は妙を極め、徳川300年の安定を実現しました。

渋沢は言います。
家康の人材配置の妙には学ぶべきものが多いが
自分は、その目的は断じて違う。

渋沢は、
自分とともに仕事をする人間と相対する。
これを道具に使って、
自家の勢力を築こうの、どうの
という私信は毛頭蓄えておらぬ。

適材を適所に配置して、
その人が成果を上げることは、
その人が国家社会に貢献する本来の道である。

やがてまたそれが、
渋沢が国家社会に貢献する道となるのである。

活動の天地は自由なものでなければならぬ。
渋沢のもとにおいて舞台が狭いならば、
即座に渋沢とたもとを分かち
広い世界に乗り出して大活躍してくれることを心から願う。
私に1日の長があるために、
私のもとで働いてくれる人もあろうが
人の1日の及ばざるをもって、
私はその人を卑しめたくない。

人は平等でなければならぬ。
彼は、自分が自由であるなら、
自分が国家社会のために働くなら、
自分のもとで働く人も、
自由で国家社会のために働くのだと考えていました。
適材適所もまた、
自分の勢力を伸ばすためではなく、
国家のためであると考えていました。

自分のため、私利私欲のためでないなら、
多くの人が従う。。。
国家社会に共通する倫理が必要で
彼はそれを論語に求めたのです。
私は、明治の日本と、今の日本は
似ていると思っています。
世間では、日本はかつての栄華を失い、
少子高齢化で働き手は少なくなり、
木にの借金はいつの間にか1000兆円をこえるといいます。
失われた30年。
かつての大英帝国のように、
衰退していくのは目に見えているようです。
しかし、考えてみると、
渋沢の時代、日本には何もありませんでした・・
それが明治維新から僅か37年で
日露戦争に勝利し、
世界の一等国と肩を並べるようになったのです。
第二次大戦後、日本は全てを失ったかに見えましたが、
1945年の敗戦から40年後には、
ジャパンアズナンバーワンと言われるようにさえなりました。
1990年以後日本は停滞していますが、
それでも現在日本中に新幹線が走り、
高速道路がめぐり、世界三位の経済力をもっています。
明治のはじめに比べ、終戦直後に比べ、
遥かに恵まれています。
ないのは、志だけではないでしょうか。

だから、論語と算盤に学びたいと思います。

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