孔子は
「罪を天に獲(う)れば、祈るところなし」
と言われましたが、
これはどういう意味でしょうか?
この天は、天命の意味であろうと思われます。
生き物が魚に生まれるのも、
鳥や獣に生まれるのも、
はたまた人間に生まれるのも
これが天命。
この天命は、
いかなる英雄豪傑でも逃れることは出来ません。
人間はいかなる事をしても
結局天命に従って行きなければならないのです。
これに逆らって、不自然な無理な行動をしても、
必ず悪い結果が帰ってきます。
これが、罪を天に獲れば・・の意味で
そもそも無理な事をしているのだから、
その尻は自分に回ってきます。
これがすなわち、祈るところ無しの意味です。
孔子は論語陽貨編において、
「天何言哉 四時行篤 百物生篤 天何言哉」
といわれました。
物事は自然に行われます。
人間がいかに神に祈ったとて、
その天命を逃れることは出来ません。
自然に背いた行為をしたところで、
天が、何か天罰を下すことはありませんが
自然にその結果は人間に帰ってきます。
自然の大道を歩んで毫も無理な真似をせず、
うちに反り見て疚しからざるものにして、
真正の安心立命を獲得できる。
これは、渋沢の解説ですが、渋沢は、
論語=孔子の考えが一番実用に役立つと信じ、実践しました。
私は、この天人を罰せずは、仏教的な考えだと思います。
仏教は全ては単独では存在せず、
他に支えられて存在する、
相互依存の関係にあるという、
因果縁起ということが根本にあります。
その因果縁起を一歩すすめると、
単独で存在しないならつながっていて
一体だということになります。
つまり、一如とか真如といいます。
そこで、もし、自分勝手な行動を取れば、
つながっているなら自分に帰ってきます。
それが因果応報という意味・・天人を罰せず、です。

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