横井小楠と心徳の学

勝海舟が、
『世の中で恐ろしいものを2人見た。
 1人は西郷南洲で、もう1人は横井小楠』
と言いました。

横井小楠は、熊本藩士であり、1860年【国是三論】を書いています。
富国、強兵、士道の3つです。
士道について
西洋の学びは、ただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず、(中略)
詰まるところ戦争の止むべき日なし。
と言っています。

その当時、世界は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの
欧米列強と言われた国々が軍事力で世界を席巻し
世界は植民地となっていました。
独立を保っていたのは、
エチオピア、トルコ、アフガニスタン、李氏朝鮮、
そして我が国の5カ国だけです。

その中で、西洋の学は、ただ事業上の学しかない
と看破したのはすごいです。
では、心徳の学とはなんでしょうか。
今の日本人は、事業上の学だけになっている気がします。
人間は、自分の知能をほしいままに使い、
欲望のままに世界環境を資源とみなし、収奪し、
結局自らの首を絞めています。
昔、二宮尊徳は、風呂桶の湯というたとえ話を残しています。
風呂に入り、風呂の湯を向こうに寄せようと押すと、
こちらに帰ってくる。
こっちに寄せようとすると、向こうにいってしまう。

つまりは、人のために施すのが大事だという話ですが、

この話は有名ですが、その前段があります。
全ての人間は、この世に生まれたときは、
空っぽのたらいのように、財産も、地位も、能力もありません。
たらいにたくさんの人が水を満たしてくれるのです。

そのことに気付き、そのありがたさに気付いた人だけが、
人にそれをあげたくなり、その結果、幸福になります。
その水は、自分のものであり、自分の努力による結果で
当たり前だと錯覚すると、足りない足りないとかき集めようとすると
幸せがにげていくという。

仏教ではお布施といいます。
昔のインドでは、布は大変高価なものでした。
この高価な布を、人に差し上げる。
これが自分自身の欲心を制御する修行でした。
来週は無財の七施という話をしようと思います。

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