論語は、2600年前の中国に生きた孔子の言行を
その死後400年かけて
孔子の弟子たちがまとめたものと言われています。
なぜそんな古いものを今更持ち出すのだ・・・
と思う人もいるでしょう。
それは、多分150年前の明治維新の頃、
そう思った人もたくさんいたはずです。
今は文明開化の時であり、
アメリカ、イギリス、フランスなどの進んだ科学技術を取り入れ、
一刻も早く彼らに追いつかなくては、
お隣の先進国だった中国のように、食い物、植民地にされてしまう。
何を今更、封建時代の武士の学問だった儒教など引き出す必要があるのだと。
今、目前のビジネスで忙しい。
そのような悠長なことは言っていられない。
今振り返れば、明治期の日本の発展は、必然だったように見えます。
銀行、製紙、海運、保険、鉄道など、
渋沢が手がけた事業も、
当然なるべくしてなったように思えます。
しかし、その渦中にあっては、先が見えず、何が起こるかわからず、
五里霧中であったに違いありません。
その時、渋沢がなぜ、論語を羅針盤にしたのでしょうか?
彼が求めたのは、どんな時代でも変わらない、
誇り高い人間の道なのだと思います。
新しい時代がくる、前例のないことが起こる、
過去の事柄は参考にならない・・
今また日本はそのような状況にあると思います。
今、先が見えない時に、過去の時代のやり方が通用しなくなる時に、
人の生き方、人間道あるべきかという、
普遍的な知恵が必要なのだと思います。
石川島播磨の前身であった造船所は、
西洋式の船を造る日本最初の会社でした。
そのやり方は、船の注文を受けて、その注文に合わせて、
海外から必要な部材を取り寄せ、
組み立て納品するというものでした。
ある時、取り寄せた部材が微妙に注文と違う、
組み立てられないわけではないし
出来上がる船もそう、たいして変わらない。
ところが、注文主は譲らない。
最初に注文した通りでないとダメだといいます。
その通りにもう一度海外に部材を注文すれば、
以前の部材は無駄になるし、時間も倍かかり、
大赤字になってしまいます。
折からの部材の値段もどんどん上がっています。
それなら、そんなわからず屋の注文主の契約などキャンセルし、
今手元にある部材で、他の注文主に高く売ればいいのではないか・・
という議論になりました。
その時、その報告が渋沢にあがると
『石川島は、利益のために契約を破るのか!』
と一括しました。
以前の、契約通りの部材をもう一度取り寄せ、
最初の契約通りの船をきちんと造り納めました。
後日、石川島の人々は、
これが今日の石川島の信用を築いた元だった
と感謝しているとのことです。

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