『渋沢栄一92年の生涯』全4巻を読み進めています。
前半を読み終えて、渋沢栄一60歳位まで読みましたが、
その中で一番印象に残ったのは、
渋沢栄一自身よりも他の明治の元勲よりも
徳川慶喜のことでした。
慶喜は大政奉還したことで有名ですが、
鳥羽伏見の戦いなどでは、敗れた将軍で
将兵を置いて、城をこっそり抜け出し、
江戸に帰った卑怯者。
あの当時、特に海軍では幕府の方が強く、
薩摩、長州と戦っても十分勝てたはずなのに・・・
と不思議がられ、
臆病者、卑怯者と言われてきました。
渋沢栄一は若い頃、一橋慶喜に仕え、
主人と思っていたので、
明治になり、自分が大蔵省をやめて自由になると
静岡に慶喜を訪ね、無聊を慰めましたが、
その真意を理解したのは20年も経ってからのことといいます。
もしもあの時、
自分の武士の意地、
徳川家先祖代々の名誉、
幕府の威信、
幕臣の薩長に対する怒りに任せ戦えば、
たとえ、勝ったとしても、
幕府薩長双方の、日本人の戦力は消耗し、
日本国土は焦土と化し、諸外国に
付け入る隙を与えたでしょう。
説明しても説得しても混乱を招くだけ。
自分一人、卑怯者、臆病者と言われても、
あぁするしかなかった・・・
彼は、幕府や徳川家ではなく、
日本人という視座でみていたのです。
あれ以来150年、今日では私たちは
日本のみならず、世界人類の視座で考えるときだろうと思います。

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