目に見えないことは対象とせず、
目に見えて観察できること。
定量化といって、
数を数えて比較できることを
対象とするというのが
この300年くらいの科学の主流でした。
このやり方だと、
全てを観察できるようにする必要があります。
少し前まで、動いている生きた細胞を
そのまま観察することは出来ませんでした。
生きた細胞は、透明で、立体で、動いています。
シャボンの泡がたくさんあると、
白いクリームのようになり、
一つ一つを区別することなど出来ません。
人間の細胞は小さいので、
そのまま、見ることはできず、
顕微鏡で拡大して見ます。
その時、動きを止めるために殺し、
薄くスライスし、染色する事によって
見えるようにするのです。
数を数えるのも、
例えば細胞の数が、人間の場合いくつあるのか?
嘗て、100兆と言われ、
最近では38兆と言われていますが、
いずれにしても
一つ一つ勘定してるはずはありません。
(1秒に1個数えたとして、
38兆というのは38兆秒・・計算を簡単にするため
36兆として60で割ると6000億分。
それをさらに60で割ると100億時間。
それを24で割ると、およそ4億日。
それを365で割ると、まあ、100万年)
数えるというのは、
他の部分と区別出来るようにする必要があります。
本当は、生きた細胞を
他の細胞と区別するのは難しいはずです。
生きたり、死んだり、分裂したり。
目まぐるしい活動をしているからです。
鈴木大拙が、
「科学は生命を殺す」と言ったのは
そういうことのはずだと思います。
今、21世紀になり、
このような生命を
生きたまま扱える科学が必要になっています。
最近は、脳の細胞を生きたまま観察したり、
動いている細胞をそのまま観察出来る技術も出て来ています。
大きな進歩だとは思いますが、
それだけでは不十分だと思います。
全体を全体として捉え、
部分の和がどのような質的変化をもたらすのか・・。
そのような「科学」が必要なはずです。
人間の体は炭水化物・・
炭素と水素、酸素、そして窒素を加えたタンパク質と
鉄やその他微量のミネラルから出来ています。
どんな複雑なものも、分解すれば簡単になる
とデカルト言って、
近代科学は全てを要素に還元しました・・
玉葱の皮をむいていっても、何も残りません。
炭素や水素酸素から、アミノ酸は出来ています。
アミノ酸の組み合わせで、タンパク質が出来ています。
タンパク質の組み合わせで、細胞ができ、
細胞の組み合わせで我々がいるのです。
それは事実ですが、
なぜそうなるのかが問題なのです。
面倒かもしれませんが、
そのための科学が必要だと思います。
なぜ『科学』なのでしょうか?
我々自由人が、納得し、
その决定に喜んで従えるのは
密室で偉い人が勝手に決めたことではなく、
公開の議論で、多くの人々が自由に議論し、
多面的、総合的、長期的に皆で考え、
今のベストはこの道だと
結論したことだけでしょう。
それが民主主義の原点だと思います。
しかしその議論の根拠は何なのか・・
個人の体験なのか、長老の意見なのか、
多数決なのか・・
私はそのような問題にも、
真理があり、
その真理の追求が科学の使命だと思っています。
そこに、複雑系の科学の可能性があると、
私は思っています。
複雑系については、
興味のある人は、グーグルで調べることが出来るし、
興味のない人には、そんな分野があるというだけで良いと思います。
問題は、複雑系の科学そのものではなく
それを我々の人生に活かすことなのです。
今、日本社会ではコロナ騒ぎと
ワクチン接種が、話題になっています。
私も6月3日に第一回の接種が予定されています。
そのために役所に電話するのは大変でした・・。
そこで、ふと思いつきました。
民主主義と日本社会について、次回は書いてみます。

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