人間の文明は、先人の知恵の恩恵により、
積み上げられてきた科学文明により
支えられています。
一方、科学の文明は、
地球生態系を危機に追い込んでいて、
人類なかでも格差は拡大し、争いの種は尽きません。
大拙は、卦学は生命を殺し、
芸術は生命を創造すると言いました。
仏教ではまず、言語の限界を指摘します。
すべての存在が相互に支え合って存在し、
影響し合っていて、
その動きは流れるように連続し、
とどまることがありません。
つまり、全ては独立して存在せず、
時間とともに変化し続けます。
そうであれば、宇宙の開闢(はじまり)から
この瞬間まですべてはつながっていて、
時間的にも、空間的にも限定することが出来ません。
これを、真如あるいは一如と呼びます。
我々人間もその真如の一部なので、
その真如を知ることが出来ます。
このための修行が八正道で、
正見から始まります。
正見とは、このような
宇宙の真理を正しく把握することです。
ところが人間の言葉は、
本来限定出来ないものを限定します。
花といい葉といい、茎といいますが・・
全ては一つのものの一部なのです。
現代科学は、アリストテレス論理学をベースとし、
その、三段論法。
大前提
内容が結論の述語となる
すべての人間は死すべきものである。
小前提
内容が結論の主語となる
ソクラテスは人である。
結論
ソクラテスは死すべきものである。
そして論理的思考のための、
同一律
ソクラテスはソクラテスである。
無矛盾律
ソクラテスは人間であり、
かつ人間ではないということはない。
排中律
ソクラテスは
人間であるかないかのどちらかである。
真理と思われる原理から起こる
全ての現象を説明する方法を演繹法とよびます。
演とは、ノベルということ。
繹とは、糸口から糸を引き出すことをいいます。
演繹とは、「deduction」の翻訳であり、
一つの重なるところがあり
それを、種々のものに及ぼすことをいうと解説されています。
現在でも様々な科学論文は、
このような書き方でないと受け入れられないといいます。
この論理はアリストテレス論理学と呼ばれ、
紀元前のもので、オルガノンと呼ばれています。
これに対し現代科学の飛躍的発展をもたらしたのが、
「induction」帰納法と呼ばれます。
1620年イギリスのフランシス・ベーコンが
その著書『ノウム・オルガヌム」で発表しました。
つまり、新しいオルガノンでした。
その次代まで、学問が停滞していたのは、
わずかな経験から飛躍して一般原理を
独断的に決定し、そこから、いろいろと推論するので、
現実の役に立ちません。
人間は4つのイドラ
(偶像とか幻影とか訳すが、アイドルの語源らしい)の
囚われている、種族のイドラは
人間の本性によるもので、
人間は自分に理解しやすい形に物事を捉えます。
洞窟のイドラとは、性格や、経験、
教育によるひずみをいいます。
市場のイドラとは、
人間の社会生活の中で生ずる偏見をいい、
劇場のイドラとは、
既存の権威ある哲学学説による、影響をいいます。
それを排除しなければ、真理を発見することは出来ません。
そのためには、先入観を捨て独断を避けて、
客観的な観察と、組織的な実験により
多くの事実を集め帰納法により
結論に導くことをいいます。
ベーコンは、人間は不完全で
真理に至る直感を持っていないとしました。
この実験による科学は、
その後デカルトニュートンと続く
科学革命の元になり、
その後400年人類の科学文明のもととなりました。
しかし、私はこのベーコンの方法にも
限界があると思います。
まず次週、その限界について明確にし、
そのうえでなお、
科学を拠り所にする理由と方法を探ることにします。

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