共同社会が成立するのは、対話が成立するからです。
対話が成立するには、共通の基盤としての教養が必要です。
教養とは人間の発見した真理の集合のはずです。
人間は真理を求めてきました
真理があるから、正義があるのであり
知性によって、平和、自由、秩序が、守られます。
貴族政治の原則は名誉であり
専制政治の原則は恐怖であるように
民主政治の原則は教育である
と語ったモンテスキューは、真理があることを、信頼していたはずです。
実験科学が信頼されるのは、本当かどうか疑い、確かめるという、ところにあります。
条件を整えないと、何が原因かわからなくなるので、不純物は取り除かれます。
また、観察し、測定するには、どの角度から見るのか決めなければなりません。
そして、他の人が実験するのは、同じことが何度でも起こせなければなりません。
物理や化学と言う分野に比べ、歴史とか生物の世界では、
このような実験の条件を整えることが難しく、
自然科学に対し、人文科学とか、社会科学と呼ばれます。
さて、私は、この『科学』の『民主性』がすきです。
どんな、偉い人が言うことより、一つの現実が重んじられるからです。
そのためには『科学』の『前提』が大切です。
健全な、ほんとうか? と疑う精神は、『科学』そのものにも
向けられなければならないのです。
科学的であれば、万人に共有できるからこそ
その『科学』は、安心できるもので無ければなりません。
次回は科学の限界と、東洋について、考えます。

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