学習と修行

スティーブジョブズの愛読書に、
「弓と禅」という本があります。
書いたのはドイツ人で、
オイゲン・ヘリゲル、哲学の教授です。

彼は日本に招かれ、東北大学の教授として、
カント哲学を日本人に教えました。
大正13年から昭和4年まで
1924年から9年の6年間。
およそ100年ほど前のことです。
そしてその頃、せっかく日本に来たのだから、
日本の武道を学ぼうと、弓道を選びました。
西洋人の中でもすこぶる理屈っぽいドイツ人の、
更に、お硬い哲学教授は、
中々、日本の修行にはなじみませんでした。
なぜ?
どうして?
ということばかりだったのです。
1、筋肉の力を使わず弓を引く
2、呼吸法による精神の集中を絶対の条件とする
3、矢を放とうという意識を持たずに、
  矢が自然に離れるのを待つ
4、的を注視せずに的を射る

これは、阿波研造という名人の指導によるものですが、
日本弓道では、普通のことです。

正しく射れば必ず当たる。
気が集中して、緊張と弛緩のバランスにより、
じねん(自然)の放れが訪れます。

しかし、どうしても、合理的、
当時の科学的説明を求めるヘリゲルは
しつこく、納得するまで食い下がります。
(セールスを初めた頃の私もそうでした)
なぜですか?どうしてですか?
これでは、いつまでも、修行は進みません。
ある日の夜、阿波研造はヘリゲルを一人道場に呼びます。
道場は真っ暗で、
的の近くに小さなろうそくが立っていて、
ようやくそこに的があることがわかります。
日本の弓道では、近い的で距離28メートル。
(戦国時代の堀の幅)
的の直径は36センチ。
(人間の胴の幅)
そして、的の中心は3センチ。
28メートルの距離で、
36センチの的に当てるだけで、
弓を引き絞り、放つときのブレは、
3ミリ以下でなければなりません。
しかも真っ暗。
阿波研造はその暗闇の中で、
弓を引き、放ちます。
闇の中を、矢が飛び、ターンと的中の音がします。
そして、すかさず二の矢を引き絞り放ちます。
また的中の音がします。
ヘリゲルは走って的のもとに行き、
じっとして動きません。
一の矢はあやまたず、的の中心をいていますが、
二の矢が、その一の矢の「矢筈」に当たり、
その「矢筈」を割いています。
ヘリゲルはその的から、矢を抜くのが惜しく、
そのまま持ち帰ったといいます。
以來、ヘリゲルは、阿波研造の指導に素直に従い
やがて、ドイツに帰国後、研造から5段を許されます。
修行と学習は違います。
学習は先人の発見した、
人間の技術、知識を学びます。
修行は、心・技・体を一体として、
師匠の技を見よう見まねで身につけます。
それは、人間の体もまた、自然だからなのです。

自分の体の力、
自然天然の力を十分に発揮するには
自分の小さな意識を捨てねばなりません。
その「我」を捨て、
「無我」になることが修行なのです。
人間は自分の意志で生まれるわけではありません。
自分が生まれるには、
人間になって、200万年。

それだけでなく哺乳類の先祖、爬虫類の先祖、
両生類の先祖、魚類の先祖、そして単細胞の先祖。
数十億年の積み重ねが、
この身を生み出しているのです。
この潜在意識、集合的無意識を生み出しています。
日本人はそのことを知っています。
日本人は自分の体や、心を含んで、
自然そのものから学びます。

本や、人からではなく、
師匠に服従するのではなく、
師匠に顕現している「自然」に頭をさげる。

これが修行なのだと思います。

コメント