仏道の実践

普通、仏教というと、葬儀とか、法事、
つまり、亡くなった親族の行事に
お坊さんが何か、意味不明の呪文のような、お経を唱え、
その後、何か、ありがたそうな、話をしてくれる・・

現在の普通の坊さんは、キリスト教の神父や牧師ほどにも、
宗教的に熱心な気がしません。

法事らしさの演出のための役割を
生業としていると思われています。

つまり、イベントの着ぐるみタレントと大差ないように思います。
私たちはあまり教わりませんが、
日本で仏教が庶民間に広まったのは、

『真言宗』空海、『天台宗』最澄、『日蓮宗』日蓮、
『浄土真宗』親鸞、『曹洞宗』道元など
日本での宗派を立てた祖師達宗派仏教です。

しかし、彼らと違い、あまり正当ではない
すごい仏教徒がいました。
行基・鈴木正三・石田梅岩という三人です。
仏教と経営を結びつけようとすれば、
彼らが大変参考に成ります。

行基という人は、世界一の鋳造物、奈良の大仏を作った人です。

15歳で出家。3年間当時最先端の仏教を学ぶが、

18歳のとき、いきなり出奔。森のなかに入り20年行方不明。

37歳で戻ってきた時はどうも、民衆を魅了する超能力を発揮する。
多分、三蔵法師から道昭と伝わった、
「瑜伽師地論」ヨガの経典を、森のなかで実践したようです。

最初は妖僧と呼ばれ、
彼の弟子は指を焼いて灯火とし、勝手に僧を名乗ります・・

時の天皇から、オカルト新興宗教と糾弾されています。
しかし、彼の勢いは衰えることなく、
弟子たちは彼に従い、菩薩道の実践として
豪族は貧民に食事を与えました。

貧民は、その恩義に、行基に従い、開梱し、
橋をかけ、水を引きました。
労働が信仰の実践となり、信仰が労働となりました。

10年経つと、天皇が勅で、
行基の弟子で一定の条件を満たすものの、
僧となることを認め、公認のしくみとなりました。

聖武天皇は全国に国分寺を建て、
さらに総国分寺として東大寺の建設を決意します。
巨大な銅の鋳造物を作り、金箔で覆うこととしました。
彼は、自分の富と権力で大衆を強制することで、
このようなモニュメントを作っても
意味がないと考えました。

人民がそれを望み、
人民の自発的な意志でそれが完成したとき、
その意義は完全なものに成ります。

そこで、かの妖僧と言われた、行基が勧進僧に選ばれました。

勧進とは、平たく言えば、
仏教に対する寄付を集めること。
76歳になった彼はそれに答え、
山を削り、日本中から銅と、金を集め、巨木を切り出し、
当時の日本人560万の半数に当たる、
述べ260万3638人の人員を動員して
東大寺、黄金の盧遮那仏を完成させました。

彼は日本で最初の大僧正となり、
82歳で入滅しましたが
その三年後、彼の弟子たちは、
東洋で最大の大仏開眼法要を実現しました。

行基は最初の日本の仏道の実践者と言えるでしょう。
来週は、鈴木正三と石田梅岩について書きます。

コメント

  1. 穴澤孝太郎 より:

    17歳で行方不明、40歳近くで世の中に出て人を魅了する超能力を発揮する。自分と似ている気がします。池田魯山翻訳の「詳解 摩訶止観」ベースに実践を続けております。武田先生のブログは「癒し」が込められていて不思議な感じがします。