複雑系の科学

複雑系という本が、新潮社から出版されたのは
1996年、524Pの厚い本です。
それから24年の時が流れましたが、
この複雑系の重要さは増すばかりだと思うのですが
学問の主流にはなっていません。

昨日あるセミナーに出ました。
講師の話も、いま3つぐらいですが、

聴衆からの質問が、
「自分は理科系の人間だから
 論文を書くにも『実験』を重んじる。
 人文科学系の人はそれがなくても通るので、
 なんでも言いたい放題ではないか」
などと質問のふりをした主張をし、
しかも人文系で実験に当たるのが、歴史研究だといいます。

まず、理科系文科系などという枠組みは
複雑系という概念とともに崩壊したはずですし、
科学的真実についても、
実験が不可能な事柄は無数にあります。
更に、歴史は無数の要素が相互に絡み合い
このような結果になっていますが、
一つの要素では全く違う結果になったはずです。

歴史こそ複雑系でしょう。
何しろ、実験と言うのは、
ただひとつの原因を確かめようとすることで、
摩擦がないとか真空とか、
現実の宇宙ではない仮定を出来る限り作ろうとします。
つまり、現実にはありえない「実験室」の話です。
複雑系は、生命現象から、政治、経済までも統合する
知の革命というのがこの本の副題です。
デカルトニュートンパラダイムは
ベーコンの実験科学に支えられています。
しかし、その革命が起きたのは17世紀のことです。
その思考法が現実の生活に影響を与え、
社会を変えたのが、18世紀。

20世紀のはじめには、
アインシュタインの相対性理論、
ボーアの量子力学などが、
デカルトニュートンの限界を明らかにしています。
そして、それらの現実社会現象を扱える学問
として出てきたのが、
複雑系Complexityという考えです。
要約すると、たくさんのエージェントが
お互いに影響を与えあって運動しているような
現象全体の振る舞いを研究する学問分野です。
生命現象から、多細胞生物の発生、
人類の持つ知性の由来、経済活動、経営、
株価の動き、人工知能(AI)更には、
気象などの流体の運動、

これらを分析予測することは、
先週紹介した、デカルトニュートンパラダイムでは解決できません。

おさらいすると

1、観察するものは対象と離れている。
  冷静に客観的に現象を測定する必要がある。

2、全ての運動や変化は外部からの力で生ずる。

3、全ての存在は放置すれば崩壊し、無秩序へ向かう。
  (エントロピーの増大)

4、量による測定が科学的で、
  量でなく質でしか測定できないものは、科学としては不十分である。

5、原因と結果の連鎖は連続的かつ、直線的・・
  つまり一方的である。
これに対し複雑系では、

1、観察するものと、されるものは
  相互に影響し合うことは避けられない。

2、運動は自発的に起こる。

3、すべての存在は胆汁なものを組み合わせて、
  多様な複雑な仕組みを作り組建てる。

4、測定するためには分割しなければならないが、
  分割が不可能なものもたくさんあるので
  測定ではなく状態の把握が必要になる。

5、原因と結果はループになっていて、どちらも影響し合う。

6、前回は漏らしてしまったが、
  機械系では部分の和は全体に等しいが、
  複雑系では部分の和の総合は、部分を足したものより大きい。
このような研究が行われていたといいます。

具体例があればわかりやすいと思うので、
先程の本の中から紹介します。

クリストファー・ラングトンは、
何学者とよんだらよいかわかりません。
1949年生まれ、私と同じ年です。

彼は人類学、哲学、生物学、物理学、
コンピューターなどありとあらゆる学問を学び、総合し、
1978年の春、アリゾナ大学で26ページの論文、
『信仰の進化』という論文をまとめました。
その内容は

生物の進化と文化の進化は、同一現象の2つの側面に過ぎず、
文化の遺伝子は、信仰である。

というものでした。
彼の指導教授は、
スティーブン・セグラという自然人類学者でしたが、
素晴らしい人で、「信仰者」でもありました。
彼は「やってみろ」といいました。
アリゾナ大学の他の教授たちの研究室を回れ

自分には、ラングトンが必要とする、
物理学や生物学コンピューター科学に関し
ラングトンを指導する能力を持ちあわせていないから
というものでした。

彼は、アリゾナ大学の研究室を回り、
彼のやろうとする研究に必要な学問をかき集めました。

彼は、自分の研究を「人工生命」と名付けました。

「人工生命」とは何か、は
生命とは何かという話なので、次週説明します。

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