東洋思想の位置づけ

前回、ガウス平面などということを言い出したので、
混乱された方もあるかもしれません。
白い紙の真ん中に水平線と垂直線を書くと、
東西南北を表すような平面ができます。

左から右への水平線の真ん中に、
上から下への垂直線が、直角に交わる図です。
この真ん中が原点、ゼロです。
左からマイナス、とりあえず10として(いくつでも良い)
ゼロに来て、
そのまま右へプラス10となります。

これが実数の直線、
我々が普通に使う、基本的な数です。

ところが、この真ん中に
垂直に伸びる線はと言うと、実数上、はゼロでしかありません。
しかし、実数と同じ規模を持つ虚数・自乗するとマイナスになる不思議な数です。

実数直線は線なので、一次元ですが、
ガウス平面は二次元なので面になります。

数学的には無限の広がりを持ちます。
私が考えたのは、
現代社会の大部分を支えている科学技術、
近代科学革命とも言うべき、
ベーコン、デカルト、ニュートンの思想を
否定する訳にはいきません。
なぜなら、その手法、
仮説を立て、条件を整え、
実験し、観察し、測定する、
という方法の積み重ねで、
全世界の人類がその恩恵を受け、
全世界の人々が追試して、今日の技術文明となり、
その恩恵に、私もあなたも預かっているのです。
ですが、どうもそれだけではない、
東洋の思想、機械ではない生命についての思考、
人間の意識、新しい組織のあり方など・・

西洋近代を否定するわけではありませんが、
それだけではないはず・・

という感覚は、
あちらこちらで様々な形で現れています。
それでは、先程の実数直線上に近代科学の思想をおき、
虚数直線上に、数々の東洋思想、
あるいは、非近代西洋の科学以外のものを位置づけると・・

否定するのではなく尊重、かつ包含する形で
全てを整理することができるような気がする
という、思いつきです。

西洋の実数直線については、
(実は現代の日本人はこちらのほうが親しんでいる)
来週また触れるとして

虚数直線を概観すると
原点ゼロを、紀元ゼロ年とすれば
実数直線より下が東洋の紀元前になります。

まず、縄文の一万年があります。
孔子が紀元前552年ですから、
更にその前というと、
釈迦の仏教、それ以前のヒンズー教、アーユルベーダ、ヨガなど
そして、孔子が学んだ六芸があります。
まず、
【礼】鬼神と交流する技術

【楽】音楽で、異界と交流する技術

【御】馬難度の野生動物のエネルギーを制御する技術

【射】自然のエネルギーをコントロールする技術

【数】数字の魔術(易)

【書】書によるトランス状態
この六芸が、
六経、礼記、楽経、易経、春秋、書経、詩経となり
そこから、紀元前200年頃、
漢王朝の成立する頃、楽経が落ちて
五経になります。
(音楽は人間をトランス状態にして危ないからという説がある)
インドではその頃、大乗仏教が龍樹により起こり、
400年頃、中国に華厳経として伝わります。

日本には、聖武天皇741年に
東大寺大仏殿とともに登場します。
1130年頃、朱子が、四書を定め
それ以来儒教の基本経典は
論語、大学、中庸、孟子となります。

その頃の日本では藤原定家が小倉百人一首を選定し、
更に世阿弥が花伝書をあらわします。

江戸時代に入る頃、能は、武家の式額となり、
体を使った教育装置と成ります。

能から武芸の部分をとり除いたのが歌舞伎で、
だから歌舞伎は庶民の楽しみになったといいます。

そしてちょうどのその時代にヨーロッパでは、
ベーコン(ノブル・オルガヌム)1620年
デカルト(方法序説)1637年
ニュートン(プリンキピア)1687年
西洋近代科学の基礎が確立されました。

1620年は三代家光、
1687年は5代綱吉の時代です。
このように整理していくと、
芸術、生命、東洋思想つまり、
全てを丸ごと現象として捉える自然の一部として
人間の心身を捉える垂直線と

物事を分析し、個別に捉える、自然科学、
近代文明が水平線

うまく整理できるのではないでしょうか・・

来週は、西洋のグレート・ブックスを
10年で読むを概観します。
 

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