実践出来ること



さて、今週は実践について書いてみようと思います。




知識人とか、インテリと呼ばれる人は、
幅広い知識を持っています。


科学的ということは、自然をある断面で切り取り、
その断面を観察することですから
その断面が無数にあるということを、
自分で実験する人は知っています。



三次元の立体を、どの角度で
どう切るかは無数にあるわけです。



大根を切る時、薄く輪切りにすることも、
桂剥きして千切りにすることも、
乱切りや、角切りや・・・
とにかく無数にあるわけです。





つまり観察の方法が無数にあり、
その無数の中から「あるやり方」を
選んでいるわけですから、
それが全てではないことを、最初から知っています。




だから、自分の意見が絶対に正しいとは言えないことを知っています。




それに対して野蛮人は、
そのような面倒なことは考えません。
欲しいとなったら、まっすぐ行動します。




知識人が考えているうちに、行動して結果を出します。




それに対し東洋の哲人は、瞑想することで、
真理を直接つかむことができると
信じています。



いや、寧ろ、自分も自然の一部であり、
真理そのものであるとさえ思っているのです。




ですからですから、自分を内省し、
真理と思えば、自分個人の利害損得ではなく、
自然の摂理に沿っていると思えば、
断固実行するのです。




知識、というのは、真理の断片です。
見識というのは、自分の行動のための、基準です。



胆識とはその上で、抵抗があることも踏まえ、
実行する不退転の決意と力です。




江崎さんを見ていると、東洋の智慧の背景を感じます。



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