日本と芸術

今冬季オリンピックをやっていますが、
どうしても日本選手を応援してしまいます。
いわゆる、えこひいきですね。



日本は特別な国だと言うのは、
身びいきと言われても仕方がないと思います。




戦前は、日本精神とか日本は神国
ということが信じられていて、
戦争をしても日本は神に守られているので、
負けることはないと思われていたふしがあるのですが、



その戦争のさなかに、「日本精神」
という言葉を意識して、あえて、
「日本的霊性」と言ったのが鈴木大拙です。



大拙は「禅と精神分析」という著書のなかで


「科学は一輪の花を語る時、化学的に、
物理的に、植物学的に、生理学的に、
はたまた、色彩学や、生態学的に、
様々な角度から一輪の花を分析し、
プレパラートに載せ、観察し、測定し、報告する。



そして、これ以上分析することもできないし、
花について、これ以上研究報告
することはないと言うが・・




その時、指の間から水がこぼれ落ちるように・・

何か大事なものが抜け落ちている・・



分析し、解体した時・・花は死んでいる。
芸術は、自然を模倣するのではなく
芸術はそこに新たな生命を創造する。
芸術は人間による創造なのだ。」




私はこの本を読むまでは、
いわゆる葬式仏教しか知らなかったので、


この本を読んで、禅の大家、鈴木 大拙という人が、
生命や芸術を語るのに大いに驚き、
それ以来、仏教のファンになりました。



彼によると、「科学」は
生命を丸ごとつかむことを諦め
特定の角度から切り取り、
断面を測定し、共有できるようにした
ということなのです。



それに対し、仏教、特に「禅」は、
生命を丸ごとつかむのです。



ですから、現実を区分けする「言葉」を
離れることを求められるのです。



ご承知のように仏教はインドで起こり、
中国を経て、日本に渡りました。



しかし、インドでも中国でも仏教は廃れ、
日本ではまだ生きている気がします。



生きているというのは、
人間の中にその「真髄」が1000年も絶えることなく
燃え続ける灯明のように、続いてることです。



そして、その生きている「禅」を
世界に英語で紹介したのが鈴木 大拙。




日本という国はとユーラシア大陸の
東の果てにある島国ですが・・
かなり、インド、中国、更には、
隣りの韓国とも違うようです。



日本では稲作が弥生文化とともに
もたらされるまで、1万年以上にあたり
縄文文化が栄えていたようです。



エジプト、中国よりも長い歴史です。



そして、弥生文化が流入しても、
縄文の文化は完全に消えることはなく
その根底に生き続けているように思えます。



もののあわれ・・というのは
日本独特の要素のようですが
ものの背後に、その生かされる要素がある
というニュアンスでしょうか




わび、さび、と言いますが
わび、とは簡素、不足の中に、
心の充実を見出そうとする意識であり、


さび、とは静けさの中に、
自ずと奥深いものや豊かなものが感じられる
美しさをいいます。



このような事柄を、無心ということ
とともに、日本的霊性とよんだのです。



最近の遺伝子の研究によれば、
ネアンデルタール人の遺伝子が
現代人の遺伝子にも含まれていて、
一般には2%ぐらいなのだそうですが、
日本人にはなんと、52%も含まれているそうです。



ネアンデルタール人は
死者に花を送ったことで知られていますが、
その優しさは日本人引き継がれているのかもしれません。


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