自分と時間

小さな時に、異様な体験をした事があるでしょうか?

私はあります。

「時間はなぜ流れるのか」ということです。

 私は10歳の時、ふと感じたのです。

考えると言うより、体感する事実です。

自分は、【今ここにいる】そして「いま」以外に、いることはできない。

3分後、5分後、1時間後、一日後は来るのだろうと、思うが

その【時】は「その時」になっていて、

その時は、その時の【今】なのだ

私は【今】ここにいて、今以外を体験することは

永遠にできない・・

その【今】が。刻々と過ぎてゆく・・・

今、今、今、・・・・


このようなことを夜中布団の中で考えていると、眠れなくなりました。

そして、母親に医者に連れて行かれ・・

「典型的なノイローゼですね」といわれ、

ホッとしたことを、覚えています。

そうか、病名がつくぐらい、普通のことなんだ・・


しかし、そのことを考え体験を煮詰めていくと恐怖を感じるのは

変わりません。

知的な疑問は残ります。

時間とはなんだろう・・

それ以来、学校の勉強はおざなりになりました。

何しろ、【時間】に対する疑問は体感的なもので、

学校の授業は机上の空論にしか、思えないのです。

それ以来、時間に関係すると思われる本を読みました。


アリストテレス、アウグヌチヌス、カント、ハイデガー

わかるような、わからぬような・・

特殊相対性理論・・時間と空間は本質的ないは同じ?

それではなぜ、空間の中を自由に移動できるのに

時間の中では【今】に閉じ込められているのか?


唯物弁証法 正に対し反があり、その戦いの中で合に進化する・・

そのような気もするので、

学生運動に、のめり込みましたが・・

私にとっては歴史も、時間論の一部だったのです。


機動隊と殴り合っても、歴史は進化する気がしない・・

やはりどこか、おかしいと、

高校三年で、学生運動から

身を引きました。

1968年のことです。


その年、私は小さな一冊の本に出会います。

鈴木大拙の「無心ということ」です。

今でも手元にあります。(その時の版ではないでしょうが)


「空というと何だか限られてくる、

それで、空間的に見ないで、時間的に見る、

すなわち次から次へと新しいものを作ってゆく世界・・」


私はこの数行を読んで、自分の実感と等しいものを感じ

すぐに、仏教、東洋哲学に興味を惹かれました。

それ以来今日まで

仏教とか東洋哲学については拾い読みですが続けてきました。


マインドフルネスでは、今、ここ、と言います。

また正念の念という字は、今の心と書きます。


しかし、【今】に集中することは普段は過去と未来のことを

考えてばかりいて、充実した現在を味わうことなく生きている

そのことに対する一種の、癒やしのように語られていますが、

自分と言うものが、今に捉えられているという、

ある種の危機感は感じられません。


仏教は、今とか時間とか言うことを、

真正面から捉えているように思います。

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