過日、早稲田大学の別室で、
マインドフルライフ協会の7月の例会があり、
「スタンフォードの自分を変える教室」について、
お話しし、皆さんと意見交換をいたしました。
このメルマガをきっかけに、参加していただいた方もあり
遠く、静岡や広島から参加された人もいて、
皆さん熱心で、楽しく盛り上がりました。
「スタンフォードの自分を変える教室」では
やるべきことをやるにはどうすればよいか
ということがテーマですが
、
人生の成功には、
知能より、意志力のほうが、影響がある
というのはなるほどと思います。
意志力というのは社会心理学のテーマですが
、
人間の、意識や精神が、
社会との深い関係を持つからには、
仕事の成功が、
本来は、人間としての成熟と相関があって当然です。
ところが、現実には、仕事で成功するというと、
競争に勝って一番になる・・・
人を、押しのけ、戦いに勝ち
生存競争に勝ち残ったもの、・・といううイメージがあります。
人間が、精神的に優れた成長をすることと
、
仕事で成果を上げることが、
相関性はないのでしょうか?
富士山は日本一高く 日本一美しいのです。
ビジネスの世界では、
よく戦争のメタファーが使われます。
端的に言えば、戦争は殺し合いです。
古くは、殺し合いだけではなく、
それは狩猟の延長であったと想像されます(つまり食べるのです)
やがて、賢く勝つには、暴力装置の軍隊も秩序を持ち、
さらに長期的な統治のため、戦闘にも、美学がもたらされました。
人類の歴史とともに、知恵をしぼったわけですから、
現在の、マーケテイングや営業にも、
軍隊の階級やインセンテイブ(表彰)
様々な用語やメタファーに残されています。
剣術の世界でも、
お互いに甲冑に身を固め、動きが鈍く
集団白兵戦という、戦闘では、
武芸の練達はさほど意味をもたなかったと
思われます。
しかし、武士階級が、貴族と変わり、支配階級となり
国家を統治するよになると、
強いというだけでは、国を治めることはできなくなります。
奴隷のように、縛り付けるだけでは
いつ反乱されるかわからないので
尊敬され、信服させることが必要です。
そこで、剣禅一如ということが言われるようになったのです。
今も伝わる柳生新陰流の道場があり
合撃(がっし)という技があることを
、
教えていただいたことがあります。
お互い上段に刀をふりかぶり、にらみ合いう
相手に、先に打ち込ませる。
鼻先を相手の太刀がかすめ通り過ぎるのに
わずかに遅れて、その同じ太刀筋を追うように 打ち込む
相手の剣は目の前を過ぎ
その剣を持つ相手の腕が、まっすぐ伸びて目前にある
間発を容れず追う自分の剣は、
相手の剣を持つ手首を撃つ
この技を使うには、
まず、意思力がいります。
斬られる恐怖心に勝って、
相手に先に打ち込ませるのです。
技術的には、正確な間合いの読みが必要です。
相手が先に動けば、
その動きに合わせることができる
後の先、
このことができれば、必勝です。
柳生流では殺人刀と活人剣ということを言います。
活人剣というのは、人を活かすというような、
観念的なことよりも、
相手の技を、思うままに出させることを言うようです。
人間動き出すと、簡単には止まれませんから、
戦いの流れを支配できるのです。
殺人刀というのは
相手に何もさせず、力で一方的に押し切ることです。
活人剣というのは、
このように、相手の力を出させ
それを活用するということです。
これが、日本の武道の基本であり、
そのためには、相手と対峙したとき
相手との距離や関係が大切になります。
それが、間合いであり、
観の目といわれる世界です。
今回は最後に、柳生流に活人剣を教えた、
沢庵和尚の
不動神妙録をご紹介します。
心の置き所。心を何処に置こうぞ。
敵の身の働きに心を置けば、
敵の身の働きに心を取らるるなり。
敵の太刀に心を置けば
敵の太刀に心をとらるるなり。
敵を切らんと思うところに心を置けば
敵を切らんと思ふ所に心を取らるるなり。
我が太刀に心を置けば
我が太刀に心を取らるるなり。
われ切られじと思ふ所に心をおけば、
切られじと思ふ所に心をとらるるなり。
人の構えに心を置けば、
人の構えに心をとらるるなり。
兎角心の置き所はないと言ふ。
[不動神妙録」
次回はこの観の目の意味を、交渉とか営業で見てゆきます。

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