悟りとはなんだろうか(3)

自分が無限小になると、逆転して無限大と一体になる。

と思うという話をしました。


この話には2つの前提があります。

一つは4次元連続の話、

もう一つは知の地平線の話です。

4次元連続とはどういう話かというと、

アインシュタインの相対性理論以来、我々の宇宙は

3次元の空間、縦、横、高さの三次元と時間を加えた4次元だと

言われています。

しかも、空間と時間は同じように伸びたり縮んだりするわけですから、

縦、横、高さ、時間という4つの要素はサイコロのどの面が

上なのか、下なのかによって何が縦で、何が横か

いくらでも入れ替わるように、

同じように置き換わるはずです。


さて、そうすると、「点」という「ゼロ次元」は、頭のなかにのみ存在する

つまり、ただ位置しか無いという存在は、現実には存在できないので

抽象的な概念でしかないということになります。

同様に、面積のない線、

厚みのない平面が実際には存在できないように、

時間のない空間も実際には存在できないはずです。


そうすると、実在するのは4次元時空だけであり、

とすると、宇宙の開闢から終焉までのすべてが存在し、

人間の意識のほうが現在という断面
をスキャンしているのではない


と考えることができます。

つまり実際にあるのは時間を含む4次元連続で、それは、

時間的にも空間的にも限定できない、真如あるいは、一如といわれる

存在です。


知の地平線とは、

我々の知識は膨らんでいく風船のように、勉強することによって

増していくのですが、ある程度勉強すると、ここまでは、

知っていること。という風船内側が大きいほど、

風船の表面積が広いので、

その先の世界の広さ、

つまり、知らない世界の広がりがわかるわけです。


ニュートンやアインシュタインのような、天才的な科学者が

「私は真理の大海の前では浜辺で遊ぶ子供のようなものだ」と

同じようなコメントをするのは、

彼らの知識が大きく知の地平線が広いので、その先の世界の広さが

わかるからだと思うのです。


さてそのうえで、仏教が説くところによれば、すべての存在は、

独立し、他によらず、それだけで

存在できる「もの」は何もなく、

すべたの存在は、他のものとの関係の中によつてのみ存在する。

原因と結果がワンセットであり条件によって縁起があるように

すべ手は、次から次へと展開していくものだとすると・・



4次元連続は時間的のも空間的にも限定できない一つのものなのに

私たちの「意識」が現在に閉じ込めらている。

私たちの資格や聴覚という五感によって、世界を限定していると

考えられます。


さて、自分がある大きさを持っていると、自分と自分以外がある

既知のことと未知のことがある、

仮に、自分がただの点、無限小になると、

自分以外の全てと一体になる。

すべてを捨てることが、無限を手に入れることになるのではないか?


コレが、私の悟り感なのです。

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