何でも良いから、景気をよくしてくれ
というのが、国民の切実な声でしょう。
景気をよくするには、成長産業が必要というのは
識者の一致するところですが
私は物質的成長はある段階でとまり、
その後、精神的=文化的成長が進むのが
生命にとって自然のことと思います。
健康長寿社会の実現は
万人の求めるところであり
この分野も単に、元気で長生きではなく
知的に成長し続けるというのが、本当でしょう。
前回ご紹介した「自分を変える教室」のテーマは
意志力の話ですが
意志力 ー注意力や感情や欲望をコントロールする能力ー
が、健康や経済的安定や人間関係、そして仕事の成功までも
左右することは、誰でも実感するところです。
その働きー自分を制御するーは
、
複雑な人間関係、社会関係のなかで、
無事生き抜いていくために、
発達したことが分かってきました。
うまくやるためには、
自分の感情や欲望を制御しなければ
ならないのです。
そして、その意思力は
筋肉と同じように、鍛えることもできますが、
使うと疲れて
消耗することもわかってきました。
普通の一日を考えても
朝起きて、まだ、だるいのにもうすこし、寝ていたいと思いながら、
頑張って起きる。
.
何かの理由でかみさんに(だんなさんに)怒られる.が、
言い返すのを我慢する。
満員電車にゆられるのに耐える。
駅の階段が込んでいて、なかなかすすまないのを我慢する。
会社で上司にいやみをいわれるを受け流す。
取引先から、クレームが入るに、理不尽と思いながら、頭を下げる。
会議で同僚が、意味不明な議論をしているのを、いかにも
興味深いというふりをして、聴き続ける。
ランチの店で店員が、「少々お待ちください」といったきり
6分後に戻っ田としても何も言わない。
ランチについている、ポテトフライを自分と交渉して
半分食べ、半分残す・・・・
これらの出来事の、自分の欲求の制御に、意志力は消耗します。
そして、本当に肝心な時、意志力は使い果たされているのです。
仏教では四苦八苦という言葉があります。
四苦とは、ご承知、生老病死です。
老・病・死が、苦であるというのは、わかりますが
なぜ、生までも、苦なのだろうと、思ったのですが
その次の四苦(あわせて八苦)
愛別離苦 (あいべつりく) 愛するものと分かれなければならない
怨憎会苦(おんぞうえく) いやなやつに会わなければならない
求不得苦(ぐふとくく) 欲しいものが手に入らない
五蘊盛苦(ごうんじょうく) 体と心が思うようにならない
というのを読んで、生、もまた、苦というのがわかりました。
全て、意志力を消耗することです。
ストレスは、
物事が思うようにいかないことから生じ
それを我慢することが、
意志力のスタミナを奪います。
それでは、最初から、
目標目的などもたず
あきらめていたらよいのでしょうか。
仏教は
諸行無常という、あきらめの教えでしょうか?
私は、仏教とは
もっとダイナミックで建設的
な生活哲学だと考えています。
思いどおり行かない事柄を考えると
自分ひとりではなく、相手があるということです。
みなさんも、今現在、頭の痛い事柄があるかもしれません。
その場合、わからずやの相手がいて、
みなさんの思うことが認められず、
その結果、計画が停滞しているのではないでしょうか。
その相手は
、
みなさんが、簡単に、言うことを聞かせられる
相手ではないのです。
このような相手とのやり取りで、
お互いが満足する結果を導くのが
交渉です。
そんな、ことができる相手なら苦労しない・・
あいつは、おかしいやつなんだ。
武田はあいつを知らないから
そんなことが言えるんだ・・・
という声が聞こえてくるようですが
交渉の定義は、
互いに価値あるものを交換し
交渉の前より、後のほうが、
互いに満足するということです。
意志力とは自己制御です。
これは、複雑な人間関係で、
自分のエゴをコントロールする必要から
生まれました。
そのことを考えると
意志力が、知能より、
社会的成功と相関性があることは
当然かもしれません。
交渉もまた、相手の利益のために、
自分のエゴを犠牲にしないまでも
コントロールすることを要求します。
交渉は他者を、暴力や権力の強制力で動かすのではない
第二のコントロールの方法です。
そして、相手をコントロールするために、
相手との関係をコントロールしようとします。
私も、勉強中ですが、人生に役立つ技術のはずです。
自分の意思を通そうとすると
暴力を使おうとするのは、未成熟な段階では
自然なことです。
そして、そのレベルが高く洗練されると
精神的なものに、関係してきます。
少林寺拳法・太極拳・合気道などの中には
そのような教えがたくさんあると聞きます。
次回は、柳生新陰流の、剣禅一如について
考えて見ます。、
剣禅一如から、東洋の対人関係を学んでみます。

コメント