悟りとはなんだろうか(1)

桜がさいて、春になったと思ったら、今日の山梨は雪です。


今回は人間成長の極限として、悟りについて考えます。

仏教と言うと、抹香臭いとか、葬式、法事しか思い浮かべら得ない人も

多いことと思います。


私の場合、10歳のとき

「時間はなぜ流れるのか、時間とは何か、何故時間は我々の意志とは関係なく

 勝手に刻々と過ぎていくのか・・」という疑問にとりつかれました。

そのため、まともな勉強の路線からずれて、勝手に独学に走りました。


中学では時間と空間の相対性ということから、

アインシュタインの相対性理論に取り組みました。

100キロの距離を2時間で移動すると時速50キロとなります。

つまり距離を時間で割ると速度ですから、

速度、秒速30万キロメートルが一定というこては

距離(空間)と時間のほうが変わることになります。

またこの場合時間と空間は等価となり、4次元連続はすでに存在するという

理屈になります・・


高校では、大学に行った先輩から、唯物弁証法を教え込まれ

学生運動にのめり込みました。

弁証法と言うのは歴史は必ずこのように発展するというのですから

一種の時間論に思えたのです。

すごく合理的、科学的に思えたのですが・・

すべての経済価値が煎じ詰めれば労働時間だというのが

腑に落ちませんでした・・

機動隊と殴り合うことが無駄だと思えたとき、


出会ったのが、鈴木大拙の「禅と精神分析」であり

「無心ということ」でした。

18歳でしたから

思えば50年、半世紀になります。

特に印象深かったのは、

「空という概念は、空間的に考えるより、時間的に考えるほうが

 わかりやすい」という一節です。

何しろ、ずっと、時間とはと考えていたので、ピンときたのです。


普通、空とか、無というと、何もない空っぽの空間のようなイメージですが

仏教の空とは、そうではなく、コロコロと転がる雪玉が

とどまるところがないというような、動的でダイナミックなことだと

解釈しました。


日本で普通仏教というと、それぞれの流派の浄土真宗とか、

日蓮宗とかの流派の祖師、親鸞とか日蓮が問題にされますが、

それぞれが、仏教を名乗るのは、今から2600年前,ゴータマという

青年は「悟り」を得たということから始まります。

悟りとは何か、というのが、仏教の根本なはずなのですが、

教化別伝とか、不立文字とかいって

どんな本を読んでも、わかるようには書いていません。

どうもヒントになりそうなのが公案というやつです。

臨済宗という禅宗の一派に伝えられる、修行僧にあたえらる

試験問題のようなもので、1400もあるそうです。

答えがそれぞれに決まっていれば、1000年も伝え

現在も使えるはずがないので・・

正解があるというより、その人なりの答えをださねばならないようです。

例えば、「だるまさんがわざわざ、インドから中国に

禅を教えに来てくれたのはなぜでしょうか?」

「庭の柏の木」

哲学的なことを聞いているのに、そこらにあるモノで返事しないでくださいよ

 「別に、そこらにあるもので返事しているわけではないよ」

・・だるまさんが、わざわざ、インドから中国に前を教えに来てくれたのは

 なぜでしょうか?

「庭の柏の木」・・


という有名な問答があります・・

コメント