昔、森繁久彌が、コカコーラのCMで語った、
音楽家のフルトベングラーが、言いました。
「感動は、舞台と観客の間に起こるのです。」
これは何か一つのことに、打ち込んだこと、のある人には
分かる感覚だと思います。
私の場合は、ブリタニカ時代でしたら、英語教材の
セールスプレゼンテーションです。
基本的には同じシナリオを使った、同じ話なのですが、
お客の現在の力量、過去の経験、許された時間、
近い将来の必要性など、様々な条件に合わせて、
その時その時の説明の流れや、ウエイトが微妙に違います。
ソレはあたかも、其の時、其の時の、お客との間に生まれる
「作品」の
ようなもので、
大作もあれば、小品もあり、契約が取れるかどうかは二の次で
作品としての美しさの、出来の良し悪しが、
また、説明会や、トレーニングも同様で、
聞く人間の、知識や経験に応じて、話のノリや、
まさに、『感動は舞台と観客の間に起きるのです』
このことは、おそらく茶道の一座建立、
主客一如というのは、主人と客、
もてなす側と、もてなされる側が、相互の呼吸が一致して
互いに一体となるような感覚を云うと思います。
仏教において、根本的な教義が「空」と「不立文字」
と前回申しましたが、
この、原因があって、結果が有る。
従って、他の物に依存せず、それ自体で存在するものはない。
という、因果、縁起の法が中心だと言われますが、
考えてみると、結果が、必ず、次の原因となるので、
原因と結果はセットであり
途切れることはないと考えられるのです。
この宇宙は、時間的にも、空間的にも限定できない渾然たる
一体であると言うのが、仏教の結論であれば、
ソレを、現代科学の言葉で初めて語ったのが
アインシュタインの特殊相対性理論だと思います。
光速に近づくと時間が遅くなるなど、不思議な話が多いのですが、
観察した「光の速さが変わらない」という事実から
時間と空間は、基本的に同じものという結論に至りました。
光にかぎらず『速度』というものは、
「空間」例えば100キロメートルの距離を、
『時間』例えば1時間で割ったものです。
空間÷時間=速度ですが
もし、速度が一定だとすると、
私達の日常感覚では、空間と時間は全然性格の違うものですが
アインシュタインによって、三次元の空間に時間の一次元を加え
4次元連続こそが、実際に存在するものだという考え方です。
この4次元連続が、仏教でいう
一如とか、真如ともいう、大自然のあり方で
これが現代物理学で
解き明かされつつ有るのですが、
その実像は、我々の普通の感覚とは違うものです。
何故、ソレを、古代東洋の哲人たちは、
次回はそのことと我々の生き方について考えます。
主客一如
仏教
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