真言と虹

空という言葉は、釈迦、ご自身は語られなかつたと

先週ご紹介しました。

虹は何色だと思いますか?

馬鹿にするな、七色に決まっているだろう と思われる方は
今週のブログを最後まで読む価値があります。



私自身、仏教に興味を持つきっかけは
鈴木大拙の「無心ということ」という小さな本の

『空とは空間的に捉えるよりは、時間的に捉えたほうが
 わかりやすい』という一行からです。

『空』とは、まさに仏教の真髄を現す言葉と思います。


そして、般若心経の真髄のもうひとつは、真言です

般若心経の最後の方に、

是大神咒
是大明咒
是無上咒
是無等等咒

比較するものもない最高の呪文
という前置きのあと

ガテー・ガテー・パーラーガーテー・
パラーサムガテー・
ボデイ・スヴァーハー

という、呪文が唱えられます。

この部分は、漢字で書かれていますが、

実際は、サンスクリット語の音をそのまま漢語に
置き換えたので、
当時の中国人にも意味の分からない、呪文です。

お釈迦様は、非常に現実的な人だったので、
仏教を学ぶ僧たちが、
呪文を唱え祈祷をすることを
明確に禁じていました。

それにもかかわらず、千年経って、呪文が蘇るのは
ソレナリの意味があります。


さて、虹は七色というのは、日本人の常識ですが

アメリカ人の常識でもフランス人の常識でもありません。

日本人が外国語を学ぶ時、このようなところから
始めればおもしろいのにと思うのですが。

虹はご承知の通り、プリズムで、屈折率の違いで分解された
ものですから、少しずつ変わっていき、その
境界が明確な訳がありません。

さて問題はここからです。

虹の七色が明確に区分されたモノではないように
すべての、モノも、コトも、明確に区分されたものではないのです。

私の、指と手のひらは つながっています。

ここかラ・ココが、指で、ここから、ここが、手のひらと
明確に区分されているわけではないのです。

これは特殊な事を言っているのではなく、

言語というものは、
実際には連続して変化し、区分できない
現象を、(空とも一如ともいいます)

人間の便利のため、切り取り、区分けし
名付け、操作可能にしたモノなのです。

それが人間の人間らしい「思考」や「知能」の源泉ですから
空気の中にいると 空気の中にいる
有り難みがわからないように、

言語を使って思考している人間には
言語を使っている、自覚も限界もわからないのです。

宇宙は開闢以来

今日まで展開を続けている

ダイナミックな現象で

本来的に巨大な波のようなものですから

ここからここまでと、区分することの出来ないものです


そして、私たちの、肉体も精神もその巨大なモノの
一部であり、全部なのです。

当然、この全体を語るのに、

人間の言語を使うことは
できません。


これが、禅でいうところの「不立文字」ということです。


般若心経は確かにお釈迦様の直説ではありませんが
今日まで、広く大切にされてきたのは

非常に短い文章の中に
我々、普通の人間の常識に反した
仏教の真髄がつめ込まれているからでしょう。


空も真言も同じ事柄の2つの側面です。

同じ事柄とは、宇宙は一連なりの「現象」だということです

そのことが、現代科学から見てどうなのか

またそのことが、我々の、世界観や
自己実現や社会的実践にどう結びつくのか

今後、皆さんとともに、考えていきたいと思います。

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