みなさんは、科学的ということに
どのようにお考えですか?
私は、科学的であることが、人間の話し合いの上で、
お互いの理解の前提になると考えてきました。
お互いの個人的な経験と一致する話を聴けば
なるほどと納得します。
然し、自分の経験と一致しなければ、口論になります。
「俺は体験したんだ!まちがいない!」
「群盲、象をなぜる」という話があります。
5人の盲人が、大きな象を撫ぜます。
一人の盲人は鼻をなぜ
一人は耳を
一人は足を
一人は胴体を
一人は尻尾をなぜるるのです。
それぞれが、象とは ホースのようだ
団扇のようだ
柱のようだ
壁のようだ
縄のようだと主張してゆずらず、
喧嘩になるという話です。
盲人は手で触れる事が全てと考え
目を開く事ができなかったのです。
個人の体験が全てだという盲信や独善を捨て
人の観察にも耳を傾け、
誰の角度から見ても、納得行く、「客観的」な答を出す。
全ての人間の経験を説明できることが、科学的ということで、
すべての「事実」を含む「真実」の追求
で、あるはずだと考えてきました。
ダカラ、話が通じるのです。
科学的であるということを、ビジネスの現場で貫き
理論を実践で血肉にされたという先輩がいて、其の方も
私のメルマガに目を通してくれています。
其の先達からの先週の記事に対するコメントをいただきました。
そのままご紹介いたします。
「武田さん科学的であるかどうかという事について、私は以下の3条件を
同時に満たす論理構築が成されていれば、『科学的である』と言えると
思います、
1、健全な懐疑主義に貫かれていること。
⇒ニヒリズムに陥らずに、何故?何故?問答が繰り替えされといる事。
2、FACT主義に裏打ちされていること。
⇒事実、数値で説明がつく事。
3、状況の変化に対応できていること。
⇒社会の変化や新しい発見・知見に対応できて
いること。
この3点を同時に満たしていれば、誰が何と言おうと科学的です。
そして、この事は、自然科学であろうと、人文科学であろうと、
社会科学で有ろうと、共通していることです。」
この方は、また、W字の形の仕事の進め方を推奨されています。
W字というのは、川喜田二郎のKJ法から学んだと言われたので
昭和51年、中央公論の
「発想法」を読み返してみました。
22Pに図が有ります。
W
のの字の上に横に線があり、思考レベルとあります。
Wの字の下に横に線があり、経験レベルとあります。
左上からスタートし、W字をなぞるように斜め右下に降りてくる
これが探検
そして、最初のV字の底辺で観察
そしてそのV字を右上に上昇するのが発送
W字の頂点が推論
右側のV 字を降りてくるのが実験計画
右側のV字の底辺が再び観察
そして右上に上昇するのが検証と表示されています。
左側の最初のV が野外科学とされ
上の思考レベルが書斎科学
右のV字が実験科学とあります。
川喜田二郎のKJ法といえば、カードに書きだした事柄を
関係を見つけて分類するものと
大雑把の理解をしていましたが、其の理解が非常に表面的であることに
読みなおして気づきました。
此の3つの科学というのは、
現代では科学というと実験科学を
思い浮かべるが、
かつては科学は書斎で古典の書籍を読み
解釈し、発展させる思考の学問であり、
今後は、実験室という人工の環境で不自然な条件で現象を
観察するだけでなく、
野外、フイールド〈場〉という自然環境で起こる現象
文化人類学という、『場は』いわゆるフイールドワークから
連想する、未開人の生活の場を観察するという限定された
ものだけではなく、
例えば、最先端の企業の、仕事の現場を観察することまで
含まれることに気付かされました。
此のような、科学ということには必ず観察ということが含まれます。
私は仏教を科学的に語ることをテーマとしています。
次回は仏教を科学的にということがどれだけ矛盾に
満ちた考えなのかを、説明したいと思います。
それでもやる意味があると思う理由を含めてです。

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