仏教の現代性

バラが咲きました。

新宿で寝たきりになっている母に届けました。

『まあ、綺麗ね』と喜んでくれました。日曜は母の日でした。

先日、
現代社会で、欲を棄てよという仏教は
機能しにくいが、

人間には原罪があるというキリスト教のほうが
人間社会にはあっているはずだ、という

先輩からの指摘があったこと、
ご報告しました。

読んでいただいている方の、多くは、
ひょっとしたら、仏教よりキリスト教のほうが
教義について、知っているのかもしれません。

なにしろ、仏教には八万四千のお経があるそうです。

また、佐々木閑という仏教学者によると

まともな仏教学者になるには少なくとも八カ国語学ばなければ
一人前になれないと言われたとのことです。

私も、仏教に興味を持って、色々本を読んで、50年になりますが、

つい昨日、ある方から、東洋大学学長の、牧本先生が
八正道は釈迦の直説ではないと
書かれている。と、教えられて、びっくりして本を取り寄せました。

また多くの日本人にとって、仏教とは
浄土真宗とか日蓮宗、曹洞宗などの
宗派の仏教で
お葬式やお彼岸にしか関係がなく、
合理的というより情緒的なもののようです。
しかしながら、仏教は学ぶべきものが
たくさんある世界で、

私は、現代社会に受け入れられる要素は、
キリスト教より仏教のほうがあると思っています(エヘン)
キリスト教を固く聖書通りに信じている
アメリカで数十年伝導してきた、
木原先生と云う80歳になる牧師さんがいます。

聡明で、活溌な、可愛らしいオバアチャンです。

とても気が合うので、いろいろと話しますが、

盛り上がった話が、途中でストップするのが、宇宙の話です。

彼女にとっては
ビックバンが150億年前などというのは
とんでもない話で、人類が数万年前にアフリカから世界に
広まった、などということもありえません。

聖書によれば、この世界は紀元前4004年に作られたので、
6000年ほどしか経っていないのです。

ここで、私と木原さんお話はストップします。
私は、キリストも釈迦も実在の人物だと思います。

そして、その語る言葉は、

尋常な人間にはとても語れない、

高みにあると思うのです。
しかし、

その後その素晴らしさを信じ、強調しようとするあまり

神秘化することにより、

かえって

矮小化してしまい、

あるいはそれを、大衆の操作に権力が利用とするために、

考えなくていいから信じなさい。
と云う装置ができると思うのです。
それがいわゆる(宗教)です。

初期の仏教はシンプルなものであったと思います。

第一が、
全ては、一連の原因結果の相互依存現象で
成り立っているということです。
(諸行無常)

其の第ニが、
宇宙に絶対者はいないということです。
(諸法無我)

第三が、
人間の苦悩は人間の知能に原因があるので
自分の精神を鍛えることによってのみ
苦悩の解決をすることが出来るということです。
(涅槃寂静)
これは現代科学と矛盾しないと思うのです

「仏教の現代性」というときに
常見と断見と云う2つの独断を否定する

という批判哲学があります。

常見とは、この世の現象の変化の奥に、永遠の実態がある、という立場です。

断見とは、この世の現象は、全て、無に帰する、という考えです。

この2つの考えは、一見両極端の主張のように見えますが

どちらも、観測・実証不可能な、この世の現象以外の、存在非存在を
なんの根拠もなく、断定しているという点で共通です。

元々、現象の背後にある形而上学には、根拠のある答えは出せないのだから
其のような問題に対しては沈黙を守る。
これを仏教では「無記」と呼びます

この定見と断見という、2つの極端で、
独善的な形而上学をすて
その知性を現象の世界に集中する・・

これこそ科学的だと思いませんか(エヘン)

これを中道というのです。

サテ来週は、仏教の科学性について書いてみます。

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