庭のバラの蕾がだいぶ膨らみました。
真赤なバラです、もう少しで活けられるようになるでしょう。
急がそうとしてもそうは行きません。
いきものについては環境を整え、
待つしかないことが多いのですが、
人間技になると、つい急いでしまいます。
先週は、キリストの話から、
「シーザーのものはシーザーへ返せ」
という話をしましたが、
今日は、仏教の一番古いお経、阿含経から、
【讒謗】という題のお話を御紹介します。
ブッダのところにあるバラモンが怒鳴りこんできて
悪口雑言の嵐がなかなか収まらない。
普段は黙って嵐が過ぎ去るのを待つのがブッダのやりかた
なのだが・・
今日は、いつまでも続くので、
やおら彼に向かって問いかけていった。
「バラモンよ、汝はこれをいかに思うか」
「汝の家にも友達や親戚など、客の来訪することがあるであろうか」
「勿論、私の家にも客の来訪が有る」
「では、バラモンよ、そのようなときには汝の家でも客に食事をふるまう
ようなことがあるだろうか」
「もちろんそのとおりである」
「バラモンよそういう時に。もしその客がそのご馳走を
いただこうとしなかったらそれは一体どういうことになるのだろうか」
「それは仕方がない、また私のものになるよりほかはないではないか」
そして、静かな調子でブッダはバラモンに云う
「バラモンよ今汝は、私に向かって悪口雑言を浴びせかけてきた。
然し、私はそれを頂戴しない。
すると、その悪口雑言は、ひるがえって、もう一度なんじのものと
なるよりしかたないではないか。」
そして、バラモンにいささかの反省の色が見えたところで
釈迦は偈をもつて諭す
「いかるものに いかりかえすは
さらにあしきことと しらねばならぬ
いかれるものに いかりかえさずして
人は 2つの勝利を えるのである」
「他人の いかれるを知りて
正念に おのれを鎮めるものは
よくおのれに 勝つとともに
また 他人に勝つのである」
この偈を聞いて、かのバラモンは深く心を打たれやがて出家し、
自分もまたブッダの弟子になったとこの経典は締めくくられている。
次週は、仏教の現代性ということを
書いてみます。

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