マインドフルネスは、八正道の七番目、『正念』の英語訳です。
アメリカ、ヨーロッパなどの、英語圏で、今大流行
日本でも「マインドフルネス」と検索するとたくさん出てきます。
インテルやグーグル、フェイスブックなど最先端の大企業で
社員研修として取り入れられるなど、
アメリカで大流行の元になったのは、
やはり、カバット・ジン博士ですが、
簡単にいえば
『いまここに集中し、価値判断せず、気付いていること』
ということです。
仏教に由来することは明言していますが、
仏教をはなれ、
何かを信じようが、信じまいが、効果のある
科学的なプログラムと言う主張です。
それに対し、藤田一照さんや、山下良道さんなど、
仏道実践者は
アメリカ型マインドフルネスに、
一定の効果があることを認めつつ
その限界を指摘します。
痛みがなくなったり、
うつ状態から脱出したりということに
ある程度の効果はあるけれど、
『思いを手放し、自由になる」ということから
言えば、行き詰まる。・・
このようなことを問題にしない人には、
関係ないかも知れませんが
仏教が人間を救うということから言えば
本質的な問題です。
八正道では
正念で
何を念ずるかというと、四念処と言い、
身念処・受念処・心念処・法念処というそうです。
山下良道さんによれば、
通常の人間の意識が、
信号が赤なのに「気づく」とか
焦げ臭いのに「気づく」という感覚と
呼吸の微妙な感覚に「気づく」というのは
別な働きで、外界の感覚刺激に気づく力が
働いているときは
微妙な、体の内側の感覚に気づくことはできないというのです。
コレは、やってみるとその通りです。
つまり、静かに座って、眼を半眼にして、
外界の音や光ではなく
自分の呼吸が、鼻の穴を通る様子に集中しようとすると
ほんの少しの間、感じられるのですが
すぐ、自分の意識は、退屈し、他のことを考えだし、
あるいは
ほかのことに気が取られ、ウロウロし出します。
そのウロウロする心を禅の方では
「意馬心猿」というそうですが
躾けられていない子犬のように
すぐ動き回る心です。
このうろうろする心が、気にしていることに
「気付いている」のでは
修行にならないので
このウロウロしている心に「気づい」たら
すぐに、呼吸の微妙な感覚に戻るのです。
身念処とは、その微妙な体の感覚に注意を向けること
山下さんは、右の手に感覚を向けることから始めるそうです。
ついで、
受念如とは、外からの刺激を感じているのだ、ということに
「気づいている」こと
心念処とは、その結果心がウロウロすることに「気づいている」こと
法念処とは、そのような連鎖の関係を「気付いていること」
をいうのです。
八正道でゆう、正念とは
普通の日常の意識が「気付いている」ことを
座禅の形ですることではなく
日常の意識が、外からの刺激に振り回されていることを
無意識や潜在意識の側から「気づく」という
修行のようです。
そこで、「気づいた」のが
マイセラジヤパンの
「頭ではなく腹に話しかける」という
一見素朴な
非科学的とも言えるやり方です。
あれは、意識=頭ではなく
腹=潜在意識に働きかけるという、
実際的方法なのでしょう。
私には確かに効果がありました。
毎日新たな発見がああるようです。

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