心理学と仏教

心の問題を取り扱うのに、現在の医学では

大まかに分けても、3つの分野が有ります。

1、心療内科
2、精神科
3、神経内科です。

1、心療内科と言うのは、心身症を扱いますが、
 それでは心身症とはないかというと、
 それだけで、
 ブログ1回分の内容では収まりませんが・・

 簡単にまとめてしまうと、
 心が体に影響を与え、支障がある症状が出ている状態
 ということになります。

2,精神科というのは、体ではなく、精神の問題、
  不安とか鬱、不眠など、を扱い

3、神経内科は脳神経の問題、パーキンソン病などを扱います。
実際は特に最近それらの区別は曖昧になってきていますが・・

Psycheという言葉を明治時代に翻訳するとき、

心理、精神の二通り
に翻訳しそのまま、発展したからという説もあります。
デカルトが、
物質を扱うのが科学、精神を扱うのは神学
と分けて以来、
近代西洋では、心の問題は科学の対象にならない
眼に見えないこと、手で触れないことは、

科学では扱わないとされました。

フロイトは、精神分析を提唱したのは、その意味では
大変なことだったのですが、

彼が、精神分析や潜在意識を問題にしたのは
当時の催眠術が、実際にヒステリーなどに効果をあげていたからです。
ところが、潜在意識と言うのは、
人間が自覚できないものですから、

潜在意識とはなにかということは、
なんとでも言えてしまうのです。
フロイトは、セックスと暴力だといったのですが・・

証明のしようがないため、
その後、
ユングとかアドラー、
フランクル
グラッサー、
ロジャース等、様々な人が出てくるわけです。

そのような普遍性のなさに対する、科学的批判から誕生したのが、

行動心理学、実験心理学で、
「目に見えない」頭の中のことを扱わず、
目に見える、行動だけを問題にするわけです・・

ところが、高度な動物では,機械ように一律な反応をするわけではなく。
(携帯が誰からかかったかを見てから取るか取らないか決めたり)
うちの猫は、その日の気分で、おやつのチーズの種類がちがうようです。

その批判から生まれたのが認知科学で
人間の頭のなかの、仕組みを研究しようという学問です。

脳神経科学はそれらに比べれば、最近の学問で
脳の中の仕組みや血流が、観察できるようになり、
さらに神経伝達物質などについても研究が進んできました。
現代の真理についての科学はこのように

人間という生きた存在を、
物質である脳と体と、精神にわけ、

更に体に支障が出る場合と、
心に支障が出る場合にわけて、

担当医師がわかれるわけです。

科学というのは此のように、真理を追求するのに
一つのものを幾つかに分け、さらに細かく分析してゆきます。
これを要素還元主義といいます。

それに対して、仏教は、2600年前に人間の問題を
まず四苦、生・老・病・死と言いました。
正に、生理的・医学的問題です。

ついで八苦の残りの4つは
愛別離苦・怨憎会苦・という人間関係と
求不得苦・五蘊盛苦、欲望が満たされない精神的な正にストレスです。

つまり、肉体的精神的問題をまとめて解決しようという発想です。

しかも解決方法はただひとつ

瞑想です。

潜在意識に就いては、釈迦自身は特に語っていないようですが

それから900年ぐらいたった、初期の大乗仏教で

末那識という自分に執着する潜在意識と
それよりさらに深いところにある阿頼耶識ということが語られ
そこに、すべての種が収められているというので
蔵識とも呼ばれています。

最近の脳科学では、
大脳前頭葉と、大脳の内側にある辺縁系の
ネットワークが
大人になるに連れ形成されることが

わかってきましたが
それでも

人間の「意識」についてはよくわかりません。

「意識」がわからないのに「無意識」や「潜在意識」
がわかるわけないのですが、

仏教では我々の、意識も一時的に他の要因に支えられ
作られたものだというのです。

自分のこの「意識」が、虚しい一時的なもの

と言われると、寂しく、心細いので、

「魂の不滅」を求めたくなるのですが・・・
どうも、仏教はそのような、刹那的、虚無的なことを
言っているわけではないようです。

次回は仏教のダイナミズムに就いて書いてみます。

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