時間と悟り

仏教とは、「何か」というためには

仏教が、悟りを得るための修行である以上

悟りとは「なにか」が必要なはずです。
曰く言い難し・・ということで

体得しなければ言葉で説明できないといわれ

悟ったかどうかの判定は、その先輩老師に認めてもらえるかどうか

あまり客観的な指標が有るように思えないので・・

個人の主観でどうとでも言えるという
(その老師が、悟りを開いたかどうか私達にはわからないのです)

せっかくの「超科学的」な仏教が
信頼性を失いかねません。

そこで私は,時間の観点から
「悟り」を説明してみたいのです。
因果と、縁起、ということは、現象論であり
時間要素を含まないと成立しません。
人間の苦悩は、人間の精神から発生しますが

その「人間精神」が他の動物と違うのは
その発達した、脳にあるはずです。

人間の脳は1000億のニューロンをもち
この銀河系の星の数と等しい、結合点を持つ複雑さで

我々の知る限り、これ以上に複雑なものは存在しません。
さて、その脳は進化によって作られました。

そして、人間の脳によって初めて「時間」を

把握することができたので、

言語を使い、シミュレーションを行い

未来を予想し、計画を立て、作戦を練ることができたのです。

他の動物は、決まったパターンで行動するので、

人間は圧倒的に有利だったのですが

その力は、同時に人間に、苦悩を与えました。
未来が予想できるので、自分が何れ

消滅しなければならないことも
分かってしまいました。
「どうせ死んでしまうのに何故生まれてきたのだろう」
孤立した精神は、過去の間違いに悔い
将来の災難に恐怖し
どうしようもないことに、現在の時間を浪費してゆきます。
お釈迦様は、その苦悩を解決するため,
瞑想に入り、
7日7晩ののち
明けの明星と自分が一体であると感じとり

悟りを開いたと言われます。
お釈迦様はその後、初転法輪で

吾は不死を得たり

といいますが、

私は、これが

単なる「たとえ」ではないというのと同様
明星と一体という体感も、「事実」ではないかと思うのです。

私たちは現在という時間に存在しているように思いますが、

過去がなければ現在もありません。
もし私が過去も現在も一人の人間であるということを認めるなら

時間をさかのぼって同一人物であるわけです。
そして、3次元の空間に時間を加えた4次元連続が本当の実在とすれば

私たちはその両親の両親・・ずっとたどって最初の生命まで一体です。

海に浮かぶ島々は、夫々孤立しているようですが
海の下ではつながっており

大きく見れば地球の僅かな凸凹です。

更に、我々の肉体を構成している、炭素や鉄は、この太陽系では
創れませんから

遥か彼方の、超新星の爆発までさかのぼり、さらに
宇宙の始まりビックバンまで、遡ることができるはずです。

この4次元連続は一体で

現在も開き、成長し続ける

その
最先端が、現在なのです。

これは現代物理学や進化論から明らかになった
「理論」ですが

これを、「現在」に縛られる

肉体の五感を離れ、

瞑想によって
直覚的に体得する・・これが「悟り」なのだ
と思うのです。

このことが

トレーニングによって

だれにでも可能ならば
仏教は完全に科学になります。
どなたか、本当に悟っている人に反論してもらいたいのですが
どうでしょうか?

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