ボイドという人工生命はご存知でしょうか?
アフォーダンスがギブソンの造語であったように、
ボイドというのも、レナルズという人が作ったTVゲームのような
コンピュータ画面上の人工生命で
birdroid・鳥もどきの、略です。
レナルズがこのプログラムを作ったのは、鳥やひつじや、
本質を追求するためでした。
ボイドの集団を、壁や障害物のたくさんあるスクリーン上の環境に
おいて、
それぞれのボイドに簡単な三っの規則をあたえました。
1他のボイドも含む環境内のあらゆる物体との距離を、
保つようにする。
2近くのボイド達と速度をあわせるようにする。
3近くのボイド達の質量中心を探し、
ただこれだけの規則で、まるで、
この3つの規則はどれも、群れを創れという指示はしていません。
それぞれの規則は完全に局所的で、
見渡して行動できることだけを規定しています。
仮に群れができるとすれば、ボトムアップ方式で、ある意味偶然
あるいは
自然にできるしかないのですが・・(創発という考え方です)
群れは、必ずできたのです。
レナルズのシュミレーションは、コンピュータ画面上にばらばらに
ボイドをおいてスタートさせることもできたのですが
それでもボイドたちは自発的に集まって群を作り、
な自然な動きで
障害物を迂回して飛ぶことができた。
時には群が2つに別れ、障害物を迂回し、
滑らかに合流し、
またある時は、一羽のボイドが柱に衝突し、
ぐるぐる飛び回り、やがてやのように突き進んで、
合流した。
アフーダンスと言う概念と、このボイドという人工生命の動き
この2つに共通するのは
中央司令室にあたるものが存在しないということです。
生命は最初から単独では存在し得ないものです。
最初の生命は単細胞生命で、それは分裂し、コピーをつくり
栄養を取り込み、エネルギーとしました。
他に依存しないで単独で存在するという事は
ありえないのです。
そしてその知るということは
行動することと結びついていて
動くものを知る事により、自分も動くという
構造からスタートしています。
それが、ボイドの動きであり、
小さな虫でも
(どう考えても大した脳があるように思えないのですが)
立派に生き物としての行動が出来る理由です。
小鳥にしても、小魚にしてもそうです。
そして、私たち人間もそこから進化してきました。
ところが人間は発達した大脳により
鮮明な思考する意識を持ち
吾思う故に吾有り・・と思うまでになったのです。
そしてその吾は、
世界を見渡し観測し、思考するが中心なので、
周りの者が存在しなくとも
吾だけは存在できるように思い
その吾が5日存在しなくなるということに恐怖し
自己保存のために、
そのことを思考することを避けます
それが、死の恐怖です
仏教はそれは、他の物によってあるので、
単独で存在できるものではない。
といいます。
周りによって存在するエネルギー
台風は巨大な大気の渦ですが
台風には目があって
その目に入るといきなり青空が見えます
私たちは、台風の動きまわる雨雲ではなく
青空そのものだった
というのが、釈迦の説く
不死の教えでしょう。
これが私が、アフォーダンスという最先端の認知に関する科学と
仏教が似ていると思う、理由です。
仏教と人工生命ボイド
仏教
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