功利学の弊をせん除すべし

哲学

武士道大和魂をもって誇りとする我が国の商工業者において、道義的観念の乏しいことは、実に悲しむべきことですが、そのよって来るところを訪ねれば、教育によるものだと思います。

道徳仁義は治者のなすべきこと、百姓は、政府より預かる田畑を耕し、町人はそろばん勘定だけをしていればよしという考えが習い性となって国家を愛するとか、道徳を重んじる、という観念が全く欠乏しました。

欧米にも倫理の学は盛んであるが、そのもとは宗教からのもので、わが国の民性とは容易に一致せざるものを、大いに歓迎されたのが、利を成し、産を増すに、てきめんの効果ある科学的知識、いわゆる功利の学です。

富貴は人類の性欲ともいうべきものだから、初めから道徳観念の欠乏したるものに、功利の学を教えるは、火に油を注ぐようなもので、その結果は推して知るべし。

もし、会社銀行に尽くす働きが、ただ利己の一念で有れば、会社銀行を破産させた方が自己の利益になるとすれば、そうしないとも限りません。

孟子のいわゆる「奪わずんば飽かず」とはこれであります。利益問題の4字にとどまり、道徳の天則外にあります。それなのに世の中ではこのような人物を成功者とし、尊敬羨望するなら、悪風、世に満ちることになります。

信は万事の本として、経済界の根幹を堅固のものとするのが肝要です。

富貴は人類の性欲というのは、いかにも渋沢らしいと思います。
彼は「論語」を生涯の規範としましたが、「聖書」であれば守れなかったろうとご本人が述懐しています。

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