メルマガ論語と算盤:12・14

論語

人物過剰の一大原因

経済界の需要と供給の原則がある如く、実世界に活動する人間にもこの法則が、応用されるようである。社会による事業には一定の範囲があり、必要なだけの人材を雇用すれば、それ以上は不要になる。しかるに一方学校では年年歳歳、たくさんの学生を養成するから、とてもそれらを満足させることはできぬ。殊に最近は高等教育を受けた人材が過剰のようだ。

学問をして高尚な理屈を知ってきたから、馬鹿らしくて人の下につかわれることなどできないという風になっている。社会は千篇一律のものではなく、これに要する人物はいろいろの種類が必要で、社長も必要なら車夫も必要だ。

最近の教育は知識の詰込みで同一種類の人間で、精神修養を閑却した悲しさは、人に屈することを知らぬので、いたずらに気位ばかり高くなっていくのだ。

かつて寺子屋時代の教育は極めて簡単なもので、教科書といったところで、高尚なのが、四書五経に八大家文あたりが関の山であったが、それによって要請された人物は、決して同一類型の人物ばかりではなかった。あるべき教育についてよく考えるべきだと思う。

(八大家文 唐宋の名文を集めたもの 唐宋八家文読本 全30巻)

日にその亡きところを知り、月にそのよくするところを忘れる事なきは、学を好むと謂うべきなり 

            論語

日に新たなことを学び、月に復習して忘れないようにする人は、学を好むといってよいだろう

学ぶに暇あらずというものは、暇ありといえずともまた学ぶこと能わず

            循南子

勉強する時間がないという人は時間があっても勉強できない

成敗と運命

それただ忠恕のみ
およそ事業を営むとき、その事業に大いなる趣味と大いなる感興をもってすれば、いかに忙しく、大変な仕事であっても、いやになることはない。
逆にいやいやながら仕事を始めれば、やがて倦怠を生じ、いずれ不満となり、やがては事業を投げ打つことになる。

まして、救済事業などの場合,趣味,感興とともに、内容の充実を図らねばならぬ。現在(大正四年一月)本院(東京市養育院)には二六〇〇人の窮民を保護している。例外的なものを除き、その大部分は自業自得の輩である。

しかし、自業自得のものだからと、愛情をもって接しないのは間違いである。人道は一に忠恕に存するものだから、いずれもその職務に忠実にして、かつ仁愛の念に富まねばならぬ。医師にも看護師にも同様のことを望む。彼らには精神上欠陥するところが多い、社会の落後者敗残者として彼らに同情することが、前に述べた忠恕である。

忠恕は人の歩むべき道にして立身の基礎、つまりはその人の幸運を把持することになるのである。

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