渋沢が論語と算盤という本を書いたのは、
70代の頃だと思います。
私も、このメルマガ配信の日、74歳になります。
まさに、日々新なりの感があります。
「苟日新 日日新 又日新」(経書「大学」)
まことに日に新たなり 日に日に新たにして 又日に新たなり
古代中国:殷の湯王は、
毎朝顔を洗う青銅製の水盤にこの言葉を刻み込んで
自分を奮い立たせていたといわれています。
努力して王となった彼は、
「日々新しいことに挑戦し、日々新しい発見 を求め、
日々成長できるように努力しなければならい」
維新というのは、その言葉からとったといいますが、
その維新の頃までは、社会の上流、士大夫というような人は、
利殖には関わらず、人格の低い物がこれに当たるという風であり、
町人は素町人と呼び卑しめられ、
商人も卑屈に流れ儲け主義一点張りになってしまいました。
これでは、商売は人格の低く教養のないものに任せ、
人格を陶冶し教養知識を学ぶものは、
実務に触れることがなくなります。
西洋諸国の学び肩を並べるには
それではならじと、論語と算盤を主義主張とし、
今日まで進んできたつもりであります。
孟子は、「利殖と仁義道徳は一致する」といいました。
その後の学者がその両者を引き離してしまいました。
仁義をなせば富貴に遠く、
富貴なれば仁義から遠ざかるものとなってしまったのです。
渋沢は、孟子の言葉を、論語と算盤に託し、
実現する努力をしたのです。
翻って、今日の日本を見ると、
20世紀の末までは、欧米の経営者に比べ、
日本の経営者には節度と教養があったように思います。
教養とは学歴とか知識ではなく、
偉大なる存在に対する畏敬の念、
あるいは自分は生かされてある
というような世界観のことだと思います。
松下幸之助や本田宗一郎は、学歴はなくともそのような、
本物の教養があったように思います。
91年、ベルリンの壁が崩壊し、
資本主義はライバルを失いました。
それ以来、日本の中でも、労働組合は力を失い
経営者は資本家の言う通り、
金儲け一辺倒になってしまいました。
日本のトップが
素町人に成り下がってしまったのではないか。。。
今こそまた、維新のときの気がします。

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