渋沢は言います。
もちろん金銭は尊いものではあるが、またすこぶる卑しいものでもある。
昭憲皇太后の
持つ人の、心によりて 宝とも
仇ともなるは黄金なりけり
は、そのへんを鮮やかに表していますが、
中国の古典では、金銭を卑しむ風が盛んであるように思われます。
左伝に「小人玉を抱いて罪あり」とか
孟子に「仁をなせば富まず、富めば仁ならず」とありますが
これは、一般に金を追い求める傾向が強いので、
その戒めのため
極端になっていると思います。
経済と道徳のバランスは、論語にも散見されますが
大学にはその記述が多くあります。
人間思想が幼稚で、道徳的観念が弱いものほど、
当然精神的なものを大切にせず、
物質の奴隷になりやすいということになります。
渋沢の言わんとするのは、
金銭は善用しなければならないが、
善用するには、その金銭をどう使うかの、
社会全体への思想、教養、道徳を身に着けなければならない、
ということだと思います。
このことは、金銭的に豊かになるのに、
仁義や道徳は必要ないことを意味します。
つまり道徳的に立派な金持ちもいれば
道徳的に貧弱な金持ちもいます。
つまり、人間的に立派になれば、
自動的に金持ちになるわけではありません。
皆さんは当たり前だと思うかもしれませんが、
お金持ちになれば、社会的責任も大きくなるのが一般的です。
松下幸之助あたりは、その辺りを語っていたように思います。
来週は金力悪用の事例というところを紹介します。

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