論語と算盤 part28 なにを真才真知というか

論語と算盤の解釈に戻ります。

先週まで少し無心ということについて書きました。
私はこの無心ということが、
東洋と西洋を分かつものだという
鈴木大拙の考えに賛成し、
この要素が世界を救うと信じています。

二宮尊徳は、
経済のない道徳は戯言であり
道徳のない経済は犯罪である。
といいました。

横井小楠は、
西洋の学問は実学ばかりで心学がない。
あれではいつもでも戦争は無くならないだろう。
といいます。
安岡正篤は、
西洋の学問ばかりやっていると
なんとなく虚しくなる。
実際ノイローゼになる友人もいる。
幼い頃から馴染んだ四書五経を紐解くと、蘇る心地がする。
といっていいました。
それでは東洋の学問とは何で、心学とは何か、
ということに対し、渋沢栄一は、
生涯、論語をすべての判断の基準とし、心学としました。
そして彼の書いた論語と算盤の一節に、
表題の【なにを、真才真知というか】があります。

渋沢いわく
人間知識も大切だが、何より人格の修養ということが大切だ。
そして、人格の修養には、境遇に対する対応が役立つ。
あるとき、孔子が弟子たちに志を述べよと言った。

すると子路が、
「もし私が国の政治を任されれば、たちまちのうちに治めてみせます」

といい、自信満々の様子。
それを見て孔子は静かに笑った。

後で、一人の弟子が何故笑ったのかと、教えをこうと
「国を治めるには、礼を持ってしなければならぬのに、
その礼に欠けるものいいだったからだ」
・・と答えたといいます。
孔子の人格の修養は、日々のあらゆる出来事に対し、
どのように対応するか、
自分の立場や位置をよく知って、
それにふさわしい道理正しい、
立ち居振る舞いをするということでした。

ところが、世間普通の人は、
少しうまくことが運べば有頂天となり
ちょっと失敗すると、うちしおれてしまいます。

常に、戒めるべきだと思います。

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