PHPで、松下幸之助の教えとして、
「素直な心」ということを言います。
初めて聞いた時は、子供みたいなことを言うなと思いましたが、
しばらくして、幸之助の書いたものを読むと、その真意がわかりました。
素直さという言葉の前に前段があって、
大事な経営判断をするとき、
私利私欲を交えると必ず失敗します。
そのような時は、私心を捨てて、天地自然に「素直」な心で判断します。
今日一日素直な心で生きよう、今日一日素直な心で生きよう・・
と過ごして50年。
囲碁でも将棋でも、どんなヘボでも、
毎日努力して50年もすれば、
誰でも初段くらいにはなります。
わしはようやく、素直さ初段というくらいや、
お前たちはまだまだやで・・・。
つまりこの「素直」というのは、
人の言うこと、上司の言うことを
素直に聞くというような、受け身の意味ではありません。
自我を捨て、天地自然の心で判断するとうことで、
つまりは、無心ということに違いありません。
鈴木大拙に、「無心ということ」という小さな文庫本があります。
小さな本ですが、内容は重大で、人間が無心になるということは
どういうことかが書いてあります。
私たち人間は、自我を持ち、知能を持ちます。
その結果、言葉を使い、道具を作り、
先達の工夫の上に、工夫を重ねて文明を築き、
我思う故に我あり、というように
全ての存在は、夢、幻、と疑えても
そのように疑う、自分というものが存在するということは疑えません。
悠久の時の流れのなかの、今、
広大無辺のうちゅうの原点のここ、
今・ここ、という時間と空間の原点ゼロは
そのまま自分なのだから、
自己中心になるな、というのが無理です。
他の全てを疑っても、「自分」が存在することは疑えないのだから
「自分」だけは、他の存在に支えられなくとも、
存在出来ると考えるのも無理はありません。
しかし、間違いなく、我々全ては、他に支えられて存在します。
全ての生命は、燃える炎のような現象で
やがて消滅します。
だから、自我を捨て無心にならなければ
正しい判断は出来ないのです。

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