自分の基準

まだ若いのですが、友人の山田社長が
「国語の心得」という本を出版しました。
彼は、都内で渋谷、新宿、麻布十番という超一等地に、
中学受験の個人指導の塾を展開して、
日本一高額の指導料を取りながら、
大変成功しています。
特に、国語の指導が得意で、
大手塾から落ちこぼれた子供たちが、
見違えるように国語が得意になり、
有名中学に合格していくそうです。
実は、彼自信、国語が苦手だったそうで、
そのため一浪しました。

大手塾の指導法に疑問を持ち、
勇気を持って塾に通うのをやめ、
国語に対する取り組み方を自分で考え、
飛躍的に向上した経験の持ち主です。
その本の中の一節に、次のような部分がありました。

【記述問題の場合】

抽象的に仮説を立てる。
具体的に仮説を立てる。
何字くらいになりそうか?という見当をつける。

わからないものに、人は自信がない。
結果、人に頼るようになる。

自分にとってよいか悪いかの判断すらつかず、
いわれるままに
従うしかない状態になる。《納得感はない》
自信をつけさせる。
納得行かないものは捨てる。
仮説思考を通じて、主体的に自分で基準を作り、
良し悪しを判断し、自分が選ぶという、主権を回復する。
この考え方は、
国語の記述問題を解くだけではなく、

人生全般に言えるのではないでしょうか?
わからないものに、人は自信がなく、
結果、人に頼るようになる。
自分にとって良いか、悪いかの判断すらつかず、
言われるままに従うしかない状態になります。
これは何にでも言えるのことではないでしょうか。
営業の世界で、チャルディーニという人のまとめた
「影響力の武器」という本があります。
社会心理学の知見として、6種類紹介され、
その中に「社会的立証」という項目があります。

「人は自分の判断に自信がないとき、
 周囲の人の行動に合わせる」
といいます。
考えてみると、
大衆とは、自分の中に判断基準を持たず、
人に合わせようとする人のことです。
あなたは、何を基準にするのか?
渋沢は、論語を基準として人生を生きました。
だからブレなかったのです。

来週からまた、論語と算盤に戻りたいと思います。

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