父正一99年の生涯

先週、父正一が、99年の生涯を閉じました。
大正12年3月30日、
祖父長造、祖母カネの長男として
現在の中国青島に生まれました。
上に二人の姉がいましたが、
待望の男の子であったので、
随分可愛がられて育ったようです。
大正12年というのは関東大震災のあった年です。
青島という街は、中国の沿岸で朝鮮半島に近く、
北京と上海の真ん中のような場所にあります。

もともとはドイツの占領し築いた街で、
青島ビールは、ドイツ人が作ったものですが、
日清日露の戦争の後、日本のものとなりました。
街には日本人の小学校があり、正一はそこで育ちました。
私がブリタニカで英語教材のセールスをはじめた頃、
祖父が
「英語教材なら、商社は絶対英語が必要だ。
 伊藤忠に越後という知り合いがいる。

 優秀だったからきっと偉くなっている。
 武田の孫だといえばきっと力になってくれる。」

と言われました。

その頃は、私も新人で自信もなく、
伊藤忠の新入社員に契約をとった時

「おたくに越後という方いらっしゃいますか?
 だいぶお年だと思うのですが・・」
と、恐る恐る尋ねると
相手もいきなり、緊張して、

「越後は当社の会長ですが・・」

度胸のなかった私は、
「えっ会長さんですか・・それなら結構です。」
とお会いすることはありませんでした。

もしあのとき、会っていれば
人生変わっていたかもしれません。

父、正一の名前は、
当時の伊藤忠青島支店長だった、越後正一に
あやかったようです。(まさかずと読みます)
越後正一は、伊藤忠中興の祖と言われ、
繊維相場の神様と言われた人ですが、
関東軍参謀であった瀬島龍三を伊藤忠に招き、
伊藤忠を1兆円を超える総合商社に育てました。
二代目伊藤忠兵衛に見いだされ
書生として伊籐忠にはいった、生え抜きです。

後に知ったのですが、
二代忠兵衛と祖父長造は、
滋賀県立商業で同級生で親しかったようです。
越後さんは、恩人の友人として
長造の店、武田洋行を訪れたようです。
父は、裕福な近江商人の長男として、
青春時代、東京に留学しました。
家から送られた生活費は十分なものだったようで、
随分映画を見たようです。
ところが、

18才のとき太平洋戦争が始まり、
20歳で招集され、22歳で終戦を迎えます。
幸いにも戦闘する場には、出なかったのですが、
終戦のとき、広島の砲兵隊にいて、
そのまま広島にいれば、原爆の直撃を受け、

私もこの世に生まれなかったと思われます。

しかし、中野学校の試験を受けに上京し難を逃れました。
その後80年、日本の復興とともに生きてきました。
99年日本近代の歴史を生きた人生でした。

ご苦労さんでした。

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