渋沢によると逆境には2種類あります。
第一は自然的、逆境で、
これはいかなる才人も防ぐことはできません。
渋沢自身、維新前後の
日本の最も騒々しかった時代に生を受けました。
最初は尊王倒幕を論じて奔走していたものが、
ついでは一橋家の家来となり
慶喜公が将軍となって幕臣となりました。
それにより、フランスへ渡り、帰朝してみれば
徳川幕府は滅び王政となっていたのです。
その頃逆境となり困窮しました。
このような逆境は、
個人の努力により回避できるとは思いません。
またこのような大変化ではなくとも、
各自の人生に、自分ではどのようにもできない
大波に洗われることもあるでしょう。
これが大丈夫かどうかの試金石です。
実験したところ、また、道理の上で考えても、
このような状況になったときは、
自己の本分であると覚悟するのが唯一の道でしょう。
足るを知りて分を守り、
これはいかに焦慮しても、天命であるから仕方がない
と覚悟するならば、いかなる逆境であろうと、
心は平かなるに違いありません。
ところが、このような逆境を
人間の力でなんとかなるとあがけば、
それは徒労に終わり
無力感を味わうことになるはずです。
ここまでが、防ぐことのできない天命による
逆境に対する心構えです。
一方、人為的な逆境というのはどうでしょうか。
商売に失敗したとか、出世競争に破れたとか、
人に裏切られたとか・・
当人にとっては見に覚えのない災難に見えても、
何でも自分に省みて、悪い点を改めるより他にありません。
世の中のことは多く自働的なもので、
自分からこうしたい、ああしたいと
奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものです。
しかるに、多くの人は、自分からねじけた人となって
かえって逆境を招くようになってしまいます。
それでは幸福になりようがないではないのか?
これが、渋沢の意見です。
皆さんはどう思われるでしょうか?
私は、サラリーマンの人生を選べませんでした。
その人生からすると、
まともなサラリーマンになる道を選び、
立派な家庭を築き、
子や孫に囲まれる友人たちを見ると、
順境、幸福な人生であったのだろうと思います。
しかし、実は、傍から見れば
平穏優雅に見える人生にも、
きっと、嵐も波もあったに違いないのです。
自分に選べるのは人生の荒波ではなく、
荒波に向かう自分の態度だけかもしれません。

コメント