448 天子蒙塵

浅田次郎の小説「天子蒙塵」を読み終えました。

「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」そして「天子蒙塵」と続く大作で、
時代は清朝末期から、満州国の創立までです。
浅田次郎は「天切松闇語り」以来のファンなので、
つい長くても読んでしまいます。

また満州国には、我が家の祖父が若くして渡り、
アジア号という満鉄特急の展望車から
満州平野に沈む真っ赤な夕日の話を聞かされ、憧れました。

また、うちの奥さんの親父殿は、
満州の軍隊にいて、ソビエト軍が
黒竜江を渡河して南下する時に戦いました。

その時に機関銃で撃たれ、
左腕を失って日本に戻ってきたのです。

そのような背景もあり、
ウクライナの戦闘の報道も併せ、生々しく読みました。

なぜこのテーマを取り上げたかというと、
私は、現代世界の混迷を救うには、
「無我とか無私」、もっと言えば「滅私奉公」というような、
思想と信念を蘇らすしかないと思っているからです。
私利私欲を捨てるということを、
文化として常識化したのは
日本の武士道しかないのではと思ってきました。
日本の武士道では利欲で動くことは恥とされました。
旗本の奥方は、出入りの商人に代金を支払うときでも、
財布ごと渡し、現金に触れることを嫌がったと言われています。
だからこそ、渋沢栄一は「論語と算盤」といったのです。
一般の武士には、金銭のことを
卑しむ傾向が強くありました。

しかし、それでは、
日本は世界の先進国に追いつくことはできません。
優秀な人間が、経済に取り組まなければならない
と、思ったからです。
二宮尊徳は、経済のない道徳は戯言であり、

『道徳のない経済は犯罪である』と言いましたが、

現代の世界の有様は、まさに、
道徳のない経済になっているように思います。

無心ということ、無我ということが、
人間欲の自己批判、欲望の制御のために、必要なのだと思って、
日本文化が世界を救うと考えてきました。
ところが、天子蒙塵は
中国満州を舞台にした物語ですが、
古い中国の四書五経には、
人間の欲を戒める言葉があることを知りました。
一つは礼記から、『天理人欲』といいます。

天には自然の理しかなく、
人間にはその欲心があるので
その天理からずれるというような意味です。
もう一つは易経から、『王臣蹇蹇 身の故に匪ず』

王に仕えるものは、
その個人の利益のために、努めてはならない。という意味です。
四書五経の一つが論語で、渋沢栄一は、その論語の道徳観を軸に
経済を制御し、500以上の企業を作り上げました。
次週から再び論語と算盤に戻ろうと思います。

コメント